【あとがき】柳本々々『きょうごめん行けないんだ』のあとがき
- 2017/06/22
- 21:15
わたしは何度も聞いたと思う。安福望さんに。これほんとうに本として成立するんですか。安福さんが、はい、本になります、成立します、心配するな、と言うので、私はそうですか、と言った(最後に荒ぶったのが気になったが)。安福さんは多分正しい。私は安福さんを信じようと思った。
もともとこの本は『かばん』の企画で安福さんと対談したときの延長からきている。
でも本をつくるつもりはまったくなくて、ただ『かばん』の対談でずっと延長して話していたら、あるとき、これ、なんかまとめてもいいかもしれませんね、という発想が出て、だんだんそれが本になっていった。
本の構想としては、雨宮まみさんと岸政彦さんの『愛と欲望の雑談』という対談本があった。つくりとしてはこういう感じにしたいんですよ、と安福さんから提案があった。
そのうちに、わたしの方から、鶴見俊輔さんの『定義集』みたいに辞典形式にしたら、どんなテーマでもつめられますよ、歌も句も詩も絵も、と話して、辞典形式にすることが決まった。辞典はあったけれど、会話辞典というのはあんまりないんじゃないんだろうか(ちなみにこの本のブックデザインを担当していただいた駒井和彬さんが「事典」ではなく「辞典」でデザインしたので、これがいいね、と「辞典」に決まった。この本にクレジットされてないが、ブックデザインは『食器と食パンとペン』をデザインした駒井さんに担当していただいた)。
ともかく二人が一致していたのは、『週刊少年ジャンプ』の厚さをめざそう、ということだった。ほんとはもっともっと厚くしたかった(ただ辞典形式なので、ダウンロードコンテンツのように後からいくらでも追加可能だとも思った。ながや宏高さんがこの本をオープンワールドゲーム形式と指摘してくださったけれども、指摘されてああそうなんだなあと思った。いまこの「あとがき」もそうである)。そして、厚いのは厚いのでいいのだが厚いわりには値段は高くしないでおこうと決めた。友達と食べるときのランチ一食分くらいにしようと。
『きょうごめん行けないんだ』というタイトルは、安福さんが決めた。わたしの短歌の結句を取ったのだ。わたしは最初、「短詩探偵団の春」はどうですか、と言ったら、あ、いいね、と言ったが、やっぱあれだめです、と後に安福さんが言ってきて、はいわかりました、となった。安福さんはいつも正しい。
この本ではいろんな方の歌や句に言及しているけれど、フリーペーパーではない以上、引用の許可を取らなければならない場合もあり、ふわっと言及することにした。歌や句というのは一首や一句でも全文引用となる場合もあるのではないかと思い、そこらへんがよくわからなかったため、統一して、引用することはやめにした。ただしキーワードには言及しているので調べればネットですぐ出てくるようにはなっている。ここらへんはけっこう実は悩んだ。今でも正解はわからない。
私が少しびっくりしたのは、私に黙って、安福さんが絵解き事典のようにすべての項目に絵をつけていたことである。私はまったく知らなかったので、けっこうびっくりして、このひとはあらてめて表現者なんだなあと思った。夜中に働く靴屋のこびとのようだった。魔法つかったな、と思ったのである。
この本ができて少し思ったのだけれど、本というのはつくるものではなくて、もしかしたら、もうできあがっているものなのかもしれないとも思った。あるとき、気づくと、本ができている。生きてきた結果として、本ができている。ある朝、用意された新しい靴のように。対談のあと長々と話しているうちに、本ができあがっていたのである。そういうことがあるんだと私は思った。
安福さんとは二年前の岡野大嗣さんのイベントで初めて会ったのだけれど、特にそれからの一年間仲がいいということもなく、話すわけでもなかったので、『かばん』でその時の編集人のながや宏高さんから対談の企画をいただかなかったら、こんな本をつくるなんて思いも寄らなかったと思う。だからひとは仲がいいから本をつくるのではなく、ある日とつぜん本を、共著をつくりはじめるのである。ながやさんに、感謝したい。
私は行動的な人間ではないため、「きょうごめん行けないんだ」と人生で何度も親しいひとに向かって言ってきたような気がする。そのたびにひとびとの色んな反応をみてきたように思う。なんども頭をさげたりいろんな話をしたりかえって仲良くなることもあったと思う。そうやって、生きてきている。
それでも生きていると、なんだかふいに不思議なことがありますよ、というのをこの本をみてなんだか思う。「きょうごめん行けないんだ」のひとでも本がつくれることをこの本のタイトルはあらわしている。
安福さんに「このタイトルで正解でしたね」と言ったら、「はいそうです」と言った。やっぱり安福さんはいつも正しいんだ、と私は思った。
柳本々々「書かれなかったあとがき」『きょうごめん行けないんだ』
もともとこの本は『かばん』の企画で安福さんと対談したときの延長からきている。
でも本をつくるつもりはまったくなくて、ただ『かばん』の対談でずっと延長して話していたら、あるとき、これ、なんかまとめてもいいかもしれませんね、という発想が出て、だんだんそれが本になっていった。
本の構想としては、雨宮まみさんと岸政彦さんの『愛と欲望の雑談』という対談本があった。つくりとしてはこういう感じにしたいんですよ、と安福さんから提案があった。
そのうちに、わたしの方から、鶴見俊輔さんの『定義集』みたいに辞典形式にしたら、どんなテーマでもつめられますよ、歌も句も詩も絵も、と話して、辞典形式にすることが決まった。辞典はあったけれど、会話辞典というのはあんまりないんじゃないんだろうか(ちなみにこの本のブックデザインを担当していただいた駒井和彬さんが「事典」ではなく「辞典」でデザインしたので、これがいいね、と「辞典」に決まった。この本にクレジットされてないが、ブックデザインは『食器と食パンとペン』をデザインした駒井さんに担当していただいた)。
ともかく二人が一致していたのは、『週刊少年ジャンプ』の厚さをめざそう、ということだった。ほんとはもっともっと厚くしたかった(ただ辞典形式なので、ダウンロードコンテンツのように後からいくらでも追加可能だとも思った。ながや宏高さんがこの本をオープンワールドゲーム形式と指摘してくださったけれども、指摘されてああそうなんだなあと思った。いまこの「あとがき」もそうである)。そして、厚いのは厚いのでいいのだが厚いわりには値段は高くしないでおこうと決めた。友達と食べるときのランチ一食分くらいにしようと。
『きょうごめん行けないんだ』というタイトルは、安福さんが決めた。わたしの短歌の結句を取ったのだ。わたしは最初、「短詩探偵団の春」はどうですか、と言ったら、あ、いいね、と言ったが、やっぱあれだめです、と後に安福さんが言ってきて、はいわかりました、となった。安福さんはいつも正しい。
この本ではいろんな方の歌や句に言及しているけれど、フリーペーパーではない以上、引用の許可を取らなければならない場合もあり、ふわっと言及することにした。歌や句というのは一首や一句でも全文引用となる場合もあるのではないかと思い、そこらへんがよくわからなかったため、統一して、引用することはやめにした。ただしキーワードには言及しているので調べればネットですぐ出てくるようにはなっている。ここらへんはけっこう実は悩んだ。今でも正解はわからない。
私が少しびっくりしたのは、私に黙って、安福さんが絵解き事典のようにすべての項目に絵をつけていたことである。私はまったく知らなかったので、けっこうびっくりして、このひとはあらてめて表現者なんだなあと思った。夜中に働く靴屋のこびとのようだった。魔法つかったな、と思ったのである。
この本ができて少し思ったのだけれど、本というのはつくるものではなくて、もしかしたら、もうできあがっているものなのかもしれないとも思った。あるとき、気づくと、本ができている。生きてきた結果として、本ができている。ある朝、用意された新しい靴のように。対談のあと長々と話しているうちに、本ができあがっていたのである。そういうことがあるんだと私は思った。
安福さんとは二年前の岡野大嗣さんのイベントで初めて会ったのだけれど、特にそれからの一年間仲がいいということもなく、話すわけでもなかったので、『かばん』でその時の編集人のながや宏高さんから対談の企画をいただかなかったら、こんな本をつくるなんて思いも寄らなかったと思う。だからひとは仲がいいから本をつくるのではなく、ある日とつぜん本を、共著をつくりはじめるのである。ながやさんに、感謝したい。
私は行動的な人間ではないため、「きょうごめん行けないんだ」と人生で何度も親しいひとに向かって言ってきたような気がする。そのたびにひとびとの色んな反応をみてきたように思う。なんども頭をさげたりいろんな話をしたりかえって仲良くなることもあったと思う。そうやって、生きてきている。
それでも生きていると、なんだかふいに不思議なことがありますよ、というのをこの本をみてなんだか思う。「きょうごめん行けないんだ」のひとでも本がつくれることをこの本のタイトルはあらわしている。
安福さんに「このタイトルで正解でしたね」と言ったら、「はいそうです」と言った。やっぱり安福さんはいつも正しいんだ、と私は思った。
柳本々々「書かれなかったあとがき」『きょうごめん行けないんだ』
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