【感想】天帝の手紙静かなホバリング 飯島章友
- 2014/07/26
- 02:02
天帝の手紙静かなホバリング 飯島章友
【重力と恩寵】
天帝とは、辞書的な意味では「古代中国で,宇宙の万物を支配すると考えられた神」である。
だから、あえていいなおすならば、天帝とは、なにもかもに〈意味〉をあたえる〈超越的審級〉としてある。
その超越的審判級が書いた「手紙」であることが重要だ。なぜなら、すべての意味表現に意味内容を充填できるはずの「天帝」にとって、意味表現と意味内容の過誤を埋め合わせるための〈伝達〉としてつねに書かれるであろう機能としての「手紙」は意味をなさないはずだからだ。
しかし、だからこその下五の「ホバリング」なのではないかとわたしはかんがえている。
つまり、この「手紙」は〈伝達〉する手紙ではなく、〈顕現〉するエピファニーとしての手紙なのではないかとおもうのだ。
この句のおもしろさのひとつは、そうしたエピファニーとしての神的な顕現に対して、語り手が「ホバリング」として結語したことではないかとおもう。超越的審級としての神性は、ヘリコプターの空中停止としての意味をもつ「ホバリング」と語られることによって、世俗化されているのだ。
つまりこの句には、「ホバリング」と結語されながらも、「天帝」の神性が世俗へといっきかせいに急降下していく、〈浮上〉とはうらはらの言語的重力があるのではないかとおもうのだ。そしてその重力は川柳という五七五の〈みじかさ〉によってなしえたことなのではないかとおもう。
川柳は、〈みじかさ〉と〈かるさ〉によってぎゃくに言語的重力をもたざるをえないのではないか。
それがこの句が浮遊してみせた「ホバリング」を通してわたしが学んだことである。
義賊からとんからりんと予告状 飯島章友
【重力と恩寵】
天帝とは、辞書的な意味では「古代中国で,宇宙の万物を支配すると考えられた神」である。
だから、あえていいなおすならば、天帝とは、なにもかもに〈意味〉をあたえる〈超越的審級〉としてある。
その超越的審判級が書いた「手紙」であることが重要だ。なぜなら、すべての意味表現に意味内容を充填できるはずの「天帝」にとって、意味表現と意味内容の過誤を埋め合わせるための〈伝達〉としてつねに書かれるであろう機能としての「手紙」は意味をなさないはずだからだ。
しかし、だからこその下五の「ホバリング」なのではないかとわたしはかんがえている。
つまり、この「手紙」は〈伝達〉する手紙ではなく、〈顕現〉するエピファニーとしての手紙なのではないかとおもうのだ。
この句のおもしろさのひとつは、そうしたエピファニーとしての神的な顕現に対して、語り手が「ホバリング」として結語したことではないかとおもう。超越的審級としての神性は、ヘリコプターの空中停止としての意味をもつ「ホバリング」と語られることによって、世俗化されているのだ。
つまりこの句には、「ホバリング」と結語されながらも、「天帝」の神性が世俗へといっきかせいに急降下していく、〈浮上〉とはうらはらの言語的重力があるのではないかとおもうのだ。そしてその重力は川柳という五七五の〈みじかさ〉によってなしえたことなのではないかとおもう。
川柳は、〈みじかさ〉と〈かるさ〉によってぎゃくに言語的重力をもたざるをえないのではないか。
それがこの句が浮遊してみせた「ホバリング」を通してわたしが学んだことである。
義賊からとんからりんと予告状 飯島章友
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