【あとがき】山路閑古『古川柳』のあとがき
- 2017/08/21
- 05:56
柄井川柳が雑俳(ざっぱい)の一種である「前句附」から、独立単句の十七字詩を確立した時に、当時の人々はこの異色ある十七字詩を、他の選者の「前句附」と区別するために「川柳点」と呼んだのである。「川柳点」は川柳の選んだ「前句附」という意味であるが、その言葉の中に、すでに「前句附」とは違った内容を含んでいた。
この新しい詩も、創案者ともいうべき柄井川柳の没後は、作風漸く一変し、同時に「川柳点」という名もふさわしからぬことになった。そこで改めて「狂句」という名称が用いられた。作風や内容が違えば名も変るのが当然で、「狂句」は短歌の「狂歌」に対応し、当時としては、選ばれたよい名前であった。「狂句」は地口や言葉の洒落を軸にしたもので、狂歌の三十一字を十七字に縮めたような軽文学であった。
かくして「狂句」の全盛時代が到来し、江戸末期から明治の末頃まで、その余波が続いたのである。
明治の末頃、一部の識者が、昔の「川柳点」と、その後の「狂句」とを比較して、同じ十七字の風俗詩でも、内容の著しく違うものであることを発見し、「川柳点」の価値を改めて認識した。そして「狂句」と分つために「川柳」という名称を確立した。「川柳」は「川柳点」の略称に他ならず、柄井川柳を柳祖として顕彰する意味をも含んでいた。
またこの人々は、残存の「狂句」を抹殺して、「川柳」を復興することを企て、「川柳」という名称による作句をも継続させようとした。そのために昔の「川柳点」に由来する「川柳」は「古川柳」と名づけ、新しく始める創作の「川柳」と区別したのであった。すなわち「古川柳」は古典としての「川柳」ということになるのである。
山路閑古「あとがき」『古川柳』
この新しい詩も、創案者ともいうべき柄井川柳の没後は、作風漸く一変し、同時に「川柳点」という名もふさわしからぬことになった。そこで改めて「狂句」という名称が用いられた。作風や内容が違えば名も変るのが当然で、「狂句」は短歌の「狂歌」に対応し、当時としては、選ばれたよい名前であった。「狂句」は地口や言葉の洒落を軸にしたもので、狂歌の三十一字を十七字に縮めたような軽文学であった。
かくして「狂句」の全盛時代が到来し、江戸末期から明治の末頃まで、その余波が続いたのである。
明治の末頃、一部の識者が、昔の「川柳点」と、その後の「狂句」とを比較して、同じ十七字の風俗詩でも、内容の著しく違うものであることを発見し、「川柳点」の価値を改めて認識した。そして「狂句」と分つために「川柳」という名称を確立した。「川柳」は「川柳点」の略称に他ならず、柄井川柳を柳祖として顕彰する意味をも含んでいた。
またこの人々は、残存の「狂句」を抹殺して、「川柳」を復興することを企て、「川柳」という名称による作句をも継続させようとした。そのために昔の「川柳点」に由来する「川柳」は「古川柳」と名づけ、新しく始める創作の「川柳」と区別したのであった。すなわち「古川柳」は古典としての「川柳」ということになるのである。
山路閑古「あとがき」『古川柳』
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