【あとがき】小森陽一・五味渕典嗣・内藤千珠子『漱石文学全注釈9 門』のあとがき
- 2014/03/30
- 21:20
テクストのかなりの分量を家の中の場面が占める『門』を読む上で、ランプ・ちゃぶ台・台所(お米と清は、立って作業をしていたのだろうか?)など、様々なモノを前にした人々の振る舞いを知っておくことは重要である。けれども、そうした身体的な記憶は、もはや失われつつあるといってよい。(……)近代においても、民俗学な関心からの〈生活誌〉のような仕事が必要なのかも知れない。ただし、むろんそれは、失われてしまった記憶をノスタルジックに振り返ることでも、ましてや〈日本人の生活〉とやらを見出したいためでもない。ある時期の人々にとって自明とされていた〈日常〉がいかに構築・構成され、そこにはどのような政治性がはらまれていたのか。身体レベルまで含めた、様々な〈力〉のせめぎあいを問題にしたいがゆえである。ひょっとしたら、現在のわれわれが、当たり前に行っている身ぶりの歴史性が、そこに刻まれているかも知れないのだから。
小森陽一・五味渕典嗣・内藤千珠子「注釈を終えて」『漱石文学全注釈9 門』
小森陽一・五味渕典嗣・内藤千珠子「注釈を終えて」『漱石文学全注釈9 門』
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