【感想】煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火 井上法子
- 2014/07/29
- 00:29
煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火 井上法子
【魔法をつかう語り手】
今回かんがえてみたいのは、〈問いかける語り手〉です。別のいいかたをするなら魔法を使う語り手についてです。
永田和宏さんが短歌における上の句と下の句の構造を〈問い〉と〈答え〉の関係になぞらえていたんですが、川柳や俳句とは違う短歌の特徴のひとつとして、その〈七七〉ぶんの延長された長さによって語り手が自己言及的に問いかける形式としての構造化があげられるのではないかとおもうんですね。
かんたんにいってみると、短歌には魔法があって、その魔法とは、〈自分への問いかけ〉なんです。しかしその魔法をつかうことによってなんでもないものが神秘化してしまう。それが短歌のひとつの特徴なのではないか。
上の井上さんの歌の〈火〉がガスコンロの火なのが、それとも電化の〈火〉なのかはわからないのだけれども、ともかく〈料理〉に使う火であるらしいことは「鍋」からわかります。つまり、だれもが日常的にたちあう火のことです。
ところが下の句で語り手が「これは」ということによって読み手は「煮えたぎる鍋」の火が問いかけとして主題化されていたことに気づくはずです。あえて語り手が「これは永遠でないほうの火」と定式化しなおすことによってわたしたちは、上の句においてこの「火」はいったいなんの火なんだろうとためらい、ゆらぎ、問いかける立場に追い込まれます。「だいじょうぶ」と語り手がいうのもポイントだとおもいます。語り手があえて「だいじょうぶ」ということによって、日常のなんでもない料理の火を予測して〈だいじょうぶ〉だったはずの読み手は「だいじょうぶ」じゃなくさせられるからです。語り手があえて「だいじょうぶ」と発話することによって、料理の火は「だいじょうぶじゃないかどうか」を賭けられた〈だいじょうぶじゃない事態〉に追い込まれるのです。
こんなふうに、問いかけることをするまでもない事態をあえて問いかける短歌として構造化しなおすことによってなぜかふだんのなにげないものが魔術化=神秘化されてしまう事態がある。この短歌のおもしろさのひとつはそこにあるんじゃないかとおもうんです。
そして、わたしは、もうひとつ、ふだんなにげなく食べているなんでもないものが、語り手が問いかけみずから「これは」と定式化してしまうことによって、魔法を発動してしまう短歌をしっているのです。魔術化するのり弁のうたを。すなわち、
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 斉藤斎藤
【魔法をつかう語り手】
今回かんがえてみたいのは、〈問いかける語り手〉です。別のいいかたをするなら魔法を使う語り手についてです。
永田和宏さんが短歌における上の句と下の句の構造を〈問い〉と〈答え〉の関係になぞらえていたんですが、川柳や俳句とは違う短歌の特徴のひとつとして、その〈七七〉ぶんの延長された長さによって語り手が自己言及的に問いかける形式としての構造化があげられるのではないかとおもうんですね。
かんたんにいってみると、短歌には魔法があって、その魔法とは、〈自分への問いかけ〉なんです。しかしその魔法をつかうことによってなんでもないものが神秘化してしまう。それが短歌のひとつの特徴なのではないか。
上の井上さんの歌の〈火〉がガスコンロの火なのが、それとも電化の〈火〉なのかはわからないのだけれども、ともかく〈料理〉に使う火であるらしいことは「鍋」からわかります。つまり、だれもが日常的にたちあう火のことです。
ところが下の句で語り手が「これは」ということによって読み手は「煮えたぎる鍋」の火が問いかけとして主題化されていたことに気づくはずです。あえて語り手が「これは永遠でないほうの火」と定式化しなおすことによってわたしたちは、上の句においてこの「火」はいったいなんの火なんだろうとためらい、ゆらぎ、問いかける立場に追い込まれます。「だいじょうぶ」と語り手がいうのもポイントだとおもいます。語り手があえて「だいじょうぶ」ということによって、日常のなんでもない料理の火を予測して〈だいじょうぶ〉だったはずの読み手は「だいじょうぶ」じゃなくさせられるからです。語り手があえて「だいじょうぶ」と発話することによって、料理の火は「だいじょうぶじゃないかどうか」を賭けられた〈だいじょうぶじゃない事態〉に追い込まれるのです。
こんなふうに、問いかけることをするまでもない事態をあえて問いかける短歌として構造化しなおすことによってなぜかふだんのなにげないものが魔術化=神秘化されてしまう事態がある。この短歌のおもしろさのひとつはそこにあるんじゃないかとおもうんです。
そして、わたしは、もうひとつ、ふだんなにげなく食べているなんでもないものが、語り手が問いかけみずから「これは」と定式化してしまうことによって、魔法を発動してしまう短歌をしっているのです。魔術化するのり弁のうたを。すなわち、
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 斉藤斎藤
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