【お知らせ】「川柳を〈読む〉ということー倉本朝世さんとの対話から」『あざみ通信』20号
- 2018/07/28
- 22:51
あざみ通信20号で倉本朝世さんとのメールでのやりとりを載せてもらっています。川柳を読むとはどういうことかについてです。
後編が、相当後の号になってしまうので、どういうことを書いたかをここで説明しておくと、まず、川柳を読むというのは、ことば単体でかんがえるか、それとも作者や背景もふくめてかんがえるか、ということを朝世さんと話しあっています。
これはわたしがたまたま誤読したことからたまたま始まった朝世さんとのやりとりで、朝世さんがあとから載せましょうと言ってくださったものです。
わたしの立場は、以前は、ことば単体でとりあえず読んでみよう、という立場だったんですが、さいきんは、作者の場、もふくめてかんがえようとおもっています。ただ、基本的にはことばからかんがえよう、というのは変わっていません。作者はこう考えているのではないだろうかというところからは出発しないとおもいます。しないんですが、作者がふだんどんなところにいるかの場には関心をもち、そこからできるだけ始めます、読むことを。
これが微妙なところで、場、というのも微妙なことばだとおもいます。微妙なのですが、読むという行為も、きちっとしたものではなく、読むものによってそのつど境界が変わるような微妙で柔軟なものだともおもいます。
最終的にこの対話でわたしが出した結論は、編集者的な視点をもつことの大切さです。研究者的でも、人間的でも、家族的でも、同人的でもなく、わたくし的でもなく、編集者的な視点で読むこと。それを結論としてだしたとおもいます。これは編集者の朝世さんと対話させていただいたからこそ出た結論だとおもっています。
たぶん、読むことをかんがえるということは相手の磁力や磁場を受け取ることなのではないでしょうか。
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