【感想】を越えてたんぽぽいろの今日そして 前原勝郎
- 2014/08/01
- 12:57
を越えてたんぽぽいろの今日そして 前原勝郎
【定型上のピクニック】
この前原さんの句をみるたびにいつも思うのは、定型は外部へとひらかれてある。不完全なかたちとしてある。未然形の未完了としてあるということです。
前原さんのこの句は「を越えて」といった「xを越えて」となっているわけですが、ただあくまでその「x」が「x」としてしか機能しえないところが大事だとおもうんですね。
つまり、語り手は「を越えて」といいながら、「を越え」ることはできない、しかも結語で「そして」と、「そしてy」というかたちでさらにひらかれている。
で、こんなふうに未知で未測の余剰とは、定型だからこそあふれるものだと思うんです。
そしてこのあふれる定型観というのはけっこう大事なのではないかとおもいます。
なぜなら、それは定型をただことばを押し込めるだけの〈型〉としてみているわけではないからです。
定型があってそこにことばを一音一音あてはめていく定型観ではなくて、定型はことばを〈よぎ〉るものとしてあります。ことばを〈よぎ〉り、しかし〈よぎ〉りつつもことばをとらえることに失敗し、にもかかわらずある一定のことばの音律を〈とりあえず〉はある一定の長さでやきつけ、そして〈裂け目〉をひらいたかたちできえていく。
定型とはそうした〈運動態〉としてつねにうごめいているのではないでしょうか。
定型が定型として完結することはなく、定型は外部の導入によってはじめて緊張感をもち、外部との相互作用を行いながら、はじめてそこに定型としての〈生命〉をもつ。
それが「を越えられない」定型としての「を越える」ではないかとおもうのです。
それはあたかも、広辞苑という閉じられた体系をくつがえしかなしき外部として外へ外へとさらけだしていくような運動態となるはずです。
「あ」から「ん」まですべて哀しき広辞苑 前原勝郎
【定型上のピクニック】
この前原さんの句をみるたびにいつも思うのは、定型は外部へとひらかれてある。不完全なかたちとしてある。未然形の未完了としてあるということです。
前原さんのこの句は「を越えて」といった「xを越えて」となっているわけですが、ただあくまでその「x」が「x」としてしか機能しえないところが大事だとおもうんですね。
つまり、語り手は「を越えて」といいながら、「を越え」ることはできない、しかも結語で「そして」と、「そしてy」というかたちでさらにひらかれている。
で、こんなふうに未知で未測の余剰とは、定型だからこそあふれるものだと思うんです。
そしてこのあふれる定型観というのはけっこう大事なのではないかとおもいます。
なぜなら、それは定型をただことばを押し込めるだけの〈型〉としてみているわけではないからです。
定型があってそこにことばを一音一音あてはめていく定型観ではなくて、定型はことばを〈よぎ〉るものとしてあります。ことばを〈よぎ〉り、しかし〈よぎ〉りつつもことばをとらえることに失敗し、にもかかわらずある一定のことばの音律を〈とりあえず〉はある一定の長さでやきつけ、そして〈裂け目〉をひらいたかたちできえていく。
定型とはそうした〈運動態〉としてつねにうごめいているのではないでしょうか。
定型が定型として完結することはなく、定型は外部の導入によってはじめて緊張感をもち、外部との相互作用を行いながら、はじめてそこに定型としての〈生命〉をもつ。
それが「を越えられない」定型としての「を越える」ではないかとおもうのです。
それはあたかも、広辞苑という閉じられた体系をくつがえしかなしき外部として外へ外へとさらけだしていくような運動態となるはずです。
「あ」から「ん」まですべて哀しき広辞苑 前原勝郎
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