【詩】「幽霊」『現代詩手帖』2018年9月号、松下育男・須永紀子 選
- 2018/08/30
- 16:10
たくさん話をしたのでソファーでうとうとしていた。すごく大きなしっかりとしたつくりのソファーだ。このソファーでかのじょは眠ることもあるんだろうか、
ぼくがたちあがって本棚からチェーホフの本を引き抜くとそこには男の顔がある。男はゴム製の置物みたいに本と本の隙間にむっちりと挟まっていて、ぼくをみつめている。ゆっくりとした眼球がぼくのために動いている。男の顔にはまばらな髯がある。そして、少しだけ、臭う。草みたいな、傘みたいな、土や水がまざった臭いで、触ってもいないのに、そのくちびるのしたに隠れた、歯の並ぶ感触がわかってしまう。
これはなんなの、とかのじょにきくと、あらゆるものよ、とかのじょは言う。もっというと、これまでのわたしのあらゆるもののかすよ。
「そうなんだ」「そう」「うん、わかっているよ」「だいじょうぶね」「うん、だいじょうぶ」
かのじょはだれかと電話で話しはじめる、ぼくはひとりで話しはじめる、くうにむかって、眼をすこしずつうごかしつつ、目黒にある巨大な電波塔のこと覚えてるかい、その電波塔がときどきあたまのてっぺんにふれるかんじがして、そのたびにぼくはいらいらして、じぶんがなにかしなくちゃいけないようなかんじがして、でも電波塔の先端は、わかるだろ、でもそのたびごとに、
「あなたってときどき言葉遣いが弱々しくなって
柳本々々「幽霊」『現代詩手帖』2018年9月号、松下育男・須永紀子 選
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