【詩】「三十分」『現代詩手帖』2018年10月号、松下育男・須永紀子 選
- 2018/09/28
- 11:19
ねえ、台風の日なのかどうなのか風なのかどうなのか、夜中にめがさめ、なにかがたべたく、わたしはとなりにいたひとに、ねえあの、なにかたべたいんだけど、あの、おどろかないでほしいんだけど、いまから国道をずっとあるいて、いまでもやっているファミレスにはいって、いまやっているのにふつうに応対してくれる深夜アルバイトの店員のひとにおじぎして、葉っぱにまいた肉とか味のついた椎茸とか入ったご飯とかたべたいんだが、ねえ。
わたしはかのじょとの昼間の会話を思い出しながら国道をあるいていく。
「たとえば、どんな映画?」「最初におおくのひとがしんで、それはとても暴力的な死なんだけれど、最後にそれよりはすくないひとがしぬ映画なの」「そんなの観ておもしろいの?」「隣にふれあう肩がたのしそうにしていればね」「なんの話? たとえの話ではなくて?」「いっていることがよくわからない」「でもずっと映画ではひとが死んできたよね。そのことを僕は知ってる」
深夜のファミレスではいすに寝そべった坊主頭の若者がいて、でも寝ていたわけではなく、頭をいすから垂らしながら店にはいってくるわたしをじっとみていて、わたしもその若者の眼に眼をあわせる。中華おこわを頼み、食べ、十二個のぎょうざを頼み、食べ、塩麹のからあげを頼み、食べ、油淋鶏を頼み、いちいち胡麻とラー油を混ぜたものにつけて食べ、あいまあいまに氷の鳴る冷たい水を飲み、ふたたび、中華おこわを頼み、食べる。
厨房から、「台風がちかづいているらしいよ、かのじょがね、わかるわかる、もうしめちゃおうよ、風って、いたいだろ。いいよ。おまえいいな」
厨房で風の話なのか、すごく深い夜だが、へんにあかるい、まぶたもいつもより肉厚にかんじられ、髪を撫でつけた店員がわたしのもとにやってきて、レジをしめちゃうんでこれから三十分は会計できないんですけどいいですよね、わたしは、反射的に、はい、と答え、すぐあとに、わたしはここにこれから三十分じっとしているのか。三十分ここにいろっていわれたなんてなんだかすさまじいきがして、わたしは数個のからあげを残してすべて空いた油だらけの皿をみている。ぜんぶやってきた手で皿を重ねる。ぜんぶまちがってきた。
次の日のわたしはかのじょとやり直すつもりでいて、かのじょはひざをひらいたままテレビをみている。笑う。もうなんだってよかったの。ねえ、すげえねこれ。
「もう眠ろうよ」「眠りたくないの。すごくのどの奥がきになって」「本でも読めばいい」「わからないの?」「え、なにが」「すごいの」
前日の夜のわたしがファミレスで提供された食べ物を胃のなかにぜんぶつめこんでいる。わたしは、三十分そこにいろといわれた。わたしは、はい、と言った。わたしは、手で腕をなんども撫でながら、赤ずきんの狼みたいにじっとそこにいた。わたしは、はじめてお腹にたくさんの石を詰め込まれ、ていねいに縫い込まれたオオカミだった。ぜんぶがはじめてだった。おちていった。
柳本々々「三十分」『現代詩手帖』2018年10月号、松下育男・須永紀子 選
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