【短歌】ひとびとの…(日経新聞・日経歌壇2014年8月3日・穂村弘 選)
- 2014/08/04
- 06:27
ひとびとのさよならこだまする駅でひゃくねんを待つ白髪の少女 柳本々々
(日経新聞・日経歌壇2014年8月3日・穂村弘 選)
草ずもうって知ってる?
ぼくらはおおばこの茎を手折り
空の下で遊んだ
草ずもうなんてしなかったわ
草ずもうなんてつまらない
じきに飽いてしまったきみが言う
もっと悪いことをしたわ
草を結んで知らない人を躓かせる
枯葉を上手にかぶせて陥し穴をつくる
きみは少女の目をして笑った
ぼくは野原のまん中に筵を敷いて
おにぎり二つ 薬罐一つ
じっとしているのが好きだったな
遠くのほうで風草 鳴っている
白髪の少女と少年が結婚の約束をした日
高橋順子「夏至」『時の雨』
【時の雨のなかであなたにであった】
足の踏み場もないほどに落ち込んだり、ふいうちのように生きることがゆらいでくるような日には、この詩を声にだして読んでいる。わたしは別に詩は目で読んでも声にだして読んでもどちらでもいいとはおもうのだけれど、わたしがあえて声にだして読むのはたぶん詩がもっている〈詩の時間〉に自分の時間の足並みをそろえることができるからのようにおもう。詩は時間をもっているし、それを声にだして駆け抜けられない時間として一音一音あゆんでいくことで、その詩の時間を身体的に理解することができる。と、おもう。
どうしてこの詩がわたしにいつも生きるちからをあたえてくれるのかはわからないけれど、この詩はあらためて読み直してみると、〈悪い詩〉である。
もっと悪いことをしたわ
草を結んで知らない人を躓かせる
枯葉を上手にかぶせて陥し穴をつくる
きみは少女の目をして笑った
わるいなあ、とおもう。ただその〈悪さ〉に時間が付着していることに注意したい。「少女」ではない「きみ」が「悪いこと」を語ることで「少女の目をして笑」う。ここには、時間を遡行する〈悪〉がある。そしてそれは「きみ」の目をみている「ぼく」が共有できる・しそこねる〈悪〉であり、時間である。
このとき、この詩は〈悪〉によって「結婚」という〈対幻想〉としての〈共同幻想〉をはからずも語っているようにわたしには思える。
それは、「きみ」と「ぼく」のあいだで共有できる・しそこねる〈悪〉であり、〈時間〉である。
共有された・しそこねた時間は、おそらくこんなかたちで、倒錯的にしか表象しえないだろう。
白髪の少女と少年が結婚の約束をした日
でもここに新たな時間が倒錯的ではあるが浮き彫りにされている〈生きられる時間〉の可能性をみたい。
わたしは、たぶん、ふいに生がゆらいでしまうときにこの詩から、生きていくことの〈悪さ〉と、その〈悪さ〉を持ち・持ちそこねる〈生きられる時間〉をもらっていたのかもしれないとも、おもうのだ。
だれかにであうことは、〈時間〉にであうことだ。
〈運命〉ということばを、あえて言語化するならば、それは、〈時間〉をくれるひとに、〈時間〉をくれそこねるひとに、であうことではないか。そうした〈時間〉の未遂としての交換のなかで、ひとは〈運命〉ということばを借りながら、なんどもなんども〈はじめての再会〉をくりかえしていくのではないだろうか。
〈時間〉はいつも〈あなた〉が〈わたし〉にくれるのだ。〈わたし〉が〈あなた〉に与えられないものとして。
くさはらのきかいじかけのくまんばちきみと暮らして三年になる 柳本々々
(「きかいじかけのくまんばち」『かばん』2013年10月)
(日経新聞・日経歌壇2014年8月3日・穂村弘 選)
草ずもうって知ってる?
ぼくらはおおばこの茎を手折り
空の下で遊んだ
草ずもうなんてしなかったわ
草ずもうなんてつまらない
じきに飽いてしまったきみが言う
もっと悪いことをしたわ
草を結んで知らない人を躓かせる
枯葉を上手にかぶせて陥し穴をつくる
きみは少女の目をして笑った
ぼくは野原のまん中に筵を敷いて
おにぎり二つ 薬罐一つ
じっとしているのが好きだったな
遠くのほうで風草 鳴っている
白髪の少女と少年が結婚の約束をした日
高橋順子「夏至」『時の雨』
【時の雨のなかであなたにであった】
足の踏み場もないほどに落ち込んだり、ふいうちのように生きることがゆらいでくるような日には、この詩を声にだして読んでいる。わたしは別に詩は目で読んでも声にだして読んでもどちらでもいいとはおもうのだけれど、わたしがあえて声にだして読むのはたぶん詩がもっている〈詩の時間〉に自分の時間の足並みをそろえることができるからのようにおもう。詩は時間をもっているし、それを声にだして駆け抜けられない時間として一音一音あゆんでいくことで、その詩の時間を身体的に理解することができる。と、おもう。
どうしてこの詩がわたしにいつも生きるちからをあたえてくれるのかはわからないけれど、この詩はあらためて読み直してみると、〈悪い詩〉である。
もっと悪いことをしたわ
草を結んで知らない人を躓かせる
枯葉を上手にかぶせて陥し穴をつくる
きみは少女の目をして笑った
わるいなあ、とおもう。ただその〈悪さ〉に時間が付着していることに注意したい。「少女」ではない「きみ」が「悪いこと」を語ることで「少女の目をして笑」う。ここには、時間を遡行する〈悪〉がある。そしてそれは「きみ」の目をみている「ぼく」が共有できる・しそこねる〈悪〉であり、時間である。
このとき、この詩は〈悪〉によって「結婚」という〈対幻想〉としての〈共同幻想〉をはからずも語っているようにわたしには思える。
それは、「きみ」と「ぼく」のあいだで共有できる・しそこねる〈悪〉であり、〈時間〉である。
共有された・しそこねた時間は、おそらくこんなかたちで、倒錯的にしか表象しえないだろう。
白髪の少女と少年が結婚の約束をした日
でもここに新たな時間が倒錯的ではあるが浮き彫りにされている〈生きられる時間〉の可能性をみたい。
わたしは、たぶん、ふいに生がゆらいでしまうときにこの詩から、生きていくことの〈悪さ〉と、その〈悪さ〉を持ち・持ちそこねる〈生きられる時間〉をもらっていたのかもしれないとも、おもうのだ。
だれかにであうことは、〈時間〉にであうことだ。
〈運命〉ということばを、あえて言語化するならば、それは、〈時間〉をくれるひとに、〈時間〉をくれそこねるひとに、であうことではないか。そうした〈時間〉の未遂としての交換のなかで、ひとは〈運命〉ということばを借りながら、なんどもなんども〈はじめての再会〉をくりかえしていくのではないだろうか。
〈時間〉はいつも〈あなた〉が〈わたし〉にくれるのだ。〈わたし〉が〈あなた〉に与えられないものとして。
くさはらのきかいじかけのくまんばちきみと暮らして三年になる 柳本々々
(「きかいじかけのくまんばち」『かばん』2013年10月)
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