【感想】いるものといらないものとあなたかな 乙黒初音
- 2014/08/07
- 00:20
いるものといらないものとあなたかな 乙黒初音
【ドストエフスキーする川柳主体】
切れ字「かな」が句末にあるものの、川柳です。
「いるもの/いらないもの」というカテゴライズがなされることによって語り手にとっての要不要から免れている「あなた」の広がりがおもしろい句なのではないかとおもいます。
しかも、いったがさいご、ドミノ倒しのように空間を自動的につくってしまうピタゴラスイッチ的な〈切れ字・かな〉によって「あなた」の空間が定型から飛び立ったのち、すこしずつひろがっていきます。
それがこの句の〈善〉なる部分だとおもいます。
しかしこの句が両極をカテゴライズする句であったように、この句には裏の面、〈悪〉なる面、ブラックな面もあるのではないかというのがわたしのかんがえです。
この句のもうひとつのブラックな側面。
語り手はたしかに要不要の彼岸に「あなた」を見出しているとおもいます。いるものでもありいらないものでもありいるものでもなくいらないでもない「あなた」です。つまりすべてであり、すべてではないアルファでありオメガであり∀(すべて)である「あなた」です。
しかし、語り手がカテゴライズの思想、「いるものといらないもの」という発想によってはじめて「あなた」な現れるしかないその語り手の発想の手順に注意したいとおもいます。「あなた」は特別な埒外にはあるのですが、しかし「いるもの」と「いらないもの」と〈と〉の一音で接合されてしまうような〈あやうさ〉があります。ドゥルーズはたしかこんなことをいってました。〈と〉は〈と〉と発話さえすれば、融合することなく、それでいて、すべてのものをつないでいけるとても強靱な〈接続語〉であると。
だからこそここでは「あなた」は語り手のなかでは、いるもの〈と〉いらないもの〈と〉あなた、として並置化されかねないモノとして、そして反転しかねないものとしてあるのです。つまり、明日は、「あなたといるものといらないものかな」、になっている可能性もあるということ。
そしてだからこそ《あえて》川柳において〈切れ字・かな〉を使用するということも、そうした反転可能かもしれない「あなた」に対する裏返しの倒錯意識からつけられたものという見方もできるようにもおもうのです。つまり、「あなた」への語り手の思いがあぶなっかしい、明日はどうなるかわからないと語り手が無意識に気づいてしまっているからこその〈空間的饒舌〉を導入するような〈切れ字〉による言語的フォロー。
もちろん、読み込みすぎかもしれません。ただ、川柳においてあえて俳句的になるときに川柳主体はなにを語ろうとし、なにを語ろうとしないでおこうとおもっているか、もしくは、どんなふうに〈語らない〉ことを語っているのか、についてすこし注意してみてもいいようにもおもうのです。
17音という短詩型においても語り手がどのように〈饒舌〉を導入するかに注意深くなってみること。
あえて定型を〈だらだら〉させたものとしてかんがえてみること。
俳句表現は、意味=叙情を定着させないよう〈切る〉ことにひとつの特色があるように思いますが(いかに散文脈を切れ字という刀で斬ってみせるかということ)、川柳はもしかしたらそのキーワードにいかに〈切〉らないで〈饒舌的ドストエフスキー〉をひきこむかという、〈だらだら〉を秘めているかもしれません。
眠れない夜にだらだら書く手紙 乙黒初音
【ドストエフスキーする川柳主体】
切れ字「かな」が句末にあるものの、川柳です。
「いるもの/いらないもの」というカテゴライズがなされることによって語り手にとっての要不要から免れている「あなた」の広がりがおもしろい句なのではないかとおもいます。
しかも、いったがさいご、ドミノ倒しのように空間を自動的につくってしまうピタゴラスイッチ的な〈切れ字・かな〉によって「あなた」の空間が定型から飛び立ったのち、すこしずつひろがっていきます。
それがこの句の〈善〉なる部分だとおもいます。
しかしこの句が両極をカテゴライズする句であったように、この句には裏の面、〈悪〉なる面、ブラックな面もあるのではないかというのがわたしのかんがえです。
この句のもうひとつのブラックな側面。
語り手はたしかに要不要の彼岸に「あなた」を見出しているとおもいます。いるものでもありいらないものでもありいるものでもなくいらないでもない「あなた」です。つまりすべてであり、すべてではないアルファでありオメガであり∀(すべて)である「あなた」です。
しかし、語り手がカテゴライズの思想、「いるものといらないもの」という発想によってはじめて「あなた」な現れるしかないその語り手の発想の手順に注意したいとおもいます。「あなた」は特別な埒外にはあるのですが、しかし「いるもの」と「いらないもの」と〈と〉の一音で接合されてしまうような〈あやうさ〉があります。ドゥルーズはたしかこんなことをいってました。〈と〉は〈と〉と発話さえすれば、融合することなく、それでいて、すべてのものをつないでいけるとても強靱な〈接続語〉であると。
だからこそここでは「あなた」は語り手のなかでは、いるもの〈と〉いらないもの〈と〉あなた、として並置化されかねないモノとして、そして反転しかねないものとしてあるのです。つまり、明日は、「あなたといるものといらないものかな」、になっている可能性もあるということ。
そしてだからこそ《あえて》川柳において〈切れ字・かな〉を使用するということも、そうした反転可能かもしれない「あなた」に対する裏返しの倒錯意識からつけられたものという見方もできるようにもおもうのです。つまり、「あなた」への語り手の思いがあぶなっかしい、明日はどうなるかわからないと語り手が無意識に気づいてしまっているからこその〈空間的饒舌〉を導入するような〈切れ字〉による言語的フォロー。
もちろん、読み込みすぎかもしれません。ただ、川柳においてあえて俳句的になるときに川柳主体はなにを語ろうとし、なにを語ろうとしないでおこうとおもっているか、もしくは、どんなふうに〈語らない〉ことを語っているのか、についてすこし注意してみてもいいようにもおもうのです。
17音という短詩型においても語り手がどのように〈饒舌〉を導入するかに注意深くなってみること。
あえて定型を〈だらだら〉させたものとしてかんがえてみること。
俳句表現は、意味=叙情を定着させないよう〈切る〉ことにひとつの特色があるように思いますが(いかに散文脈を切れ字という刀で斬ってみせるかということ)、川柳はもしかしたらそのキーワードにいかに〈切〉らないで〈饒舌的ドストエフスキー〉をひきこむかという、〈だらだら〉を秘めているかもしれません。
眠れない夜にだらだら書く手紙 乙黒初音
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