【感想】丸山進「折れ線グラフ」『川柳ねじまき #1』
- 2014/08/08
- 00:34
折れてくれ折れ線グラフなのだから 丸山進
【絶望と希望のトプシー・ターヴィー・デイ】
『川柳ねじまき#1』から丸山進さんの「折れ線グラフ」の感想です。
「生きてればティッシュを呉れる人がいる」という丸山さんの句の感想を書かせていただいたときにも感じていたことなんですが、丸山さんの川柳には、〈無機物のアニミズム〉といったような〈無機物〉の生命力がみなぎり、〈いきいき〉としている、もしくはしすぎている/しそこねている様相が主題として描かれているように思うんですね。ティッシュが〈生きるちから〉と等価に描かれることはまさにそうした主題のなかにあるのではないかと。
たとえば表題句の
折れてくれ折れ線グラフなのだから 丸山進
折れ線グラフという人間が名付けたカテゴリーを超えて折れ線グラフが折れないわけです。これは折れ線グラフのアニマ(霊魂)、生命の充溢感とみることもできるのではないでしょうか。アニミズムとはこうした日常的事物の躍動であり、ひととモノとの位階がつぎつぎと破竹していくことだとおもうんですね。
無機物が過激有機的様相を帯びていくこと。そしてその事態に語り手が「折れてくれ」と関わらざるをえないこと。
そんな無機物のカーニバルな祝祭状況としての丸山さんの句を連からもう少しあげてみましょう。
条件は在住なの珍獣なの
筆箱を開ければ筆の派閥あり
図書館は無料で息を引き取ります
捨て台詞吐かれ拾って追いかける
どれもふだんはじっとしている無機物がこれでもかと息づき、祭りめいています。
「なけなしの勇気と、はかりしれない純情」となかはられいこさんが評していますが、わたしも丸山さんの句集『アルバトロス』を読んでいたときにも思ったことなのですが、丸山さんの句は〈絶望〉と〈希望〉の極端な配合がとてもおもしろいと感じました。たとえばわたしの好きな句に、
飛び降りるところが今日も混んでいる 丸山進『アルバトロス』
という句があるのですが、「飛び降りる」という極端な〈絶望〉が「混んでいる」ことによって遂行できないというユーモラスな〈希望〉がうまれています。絶望のジャンプ力です(「絶望の結果見たくて生きている 丸山進」!)。
これをわたしはニーチェがかつて〈強さのペシミズム〉と呼んだような〈強さの絶望〉と呼んでみたいんですね。あるいは荻原裕幸さんが「これはもうビョーキに近いのではないか」と評されているので〈強さのビョーキ〉とも。ニーチェも、病気になってはじめて見いだせる風景がある、といっています。荻原さんのいうとおり、「明るく朗らかに壊れてゆく」したたかさ、です。
折れることがなかった折れ線グラフのように、きょうもまっすぐでタフな絶望を。
卓袱台をひっくり返す夢がある 丸山進
【絶望と希望のトプシー・ターヴィー・デイ】
『川柳ねじまき#1』から丸山進さんの「折れ線グラフ」の感想です。
「生きてればティッシュを呉れる人がいる」という丸山さんの句の感想を書かせていただいたときにも感じていたことなんですが、丸山さんの川柳には、〈無機物のアニミズム〉といったような〈無機物〉の生命力がみなぎり、〈いきいき〉としている、もしくはしすぎている/しそこねている様相が主題として描かれているように思うんですね。ティッシュが〈生きるちから〉と等価に描かれることはまさにそうした主題のなかにあるのではないかと。
たとえば表題句の
折れてくれ折れ線グラフなのだから 丸山進
折れ線グラフという人間が名付けたカテゴリーを超えて折れ線グラフが折れないわけです。これは折れ線グラフのアニマ(霊魂)、生命の充溢感とみることもできるのではないでしょうか。アニミズムとはこうした日常的事物の躍動であり、ひととモノとの位階がつぎつぎと破竹していくことだとおもうんですね。
無機物が過激有機的様相を帯びていくこと。そしてその事態に語り手が「折れてくれ」と関わらざるをえないこと。
そんな無機物のカーニバルな祝祭状況としての丸山さんの句を連からもう少しあげてみましょう。
条件は在住なの珍獣なの
筆箱を開ければ筆の派閥あり
図書館は無料で息を引き取ります
捨て台詞吐かれ拾って追いかける
どれもふだんはじっとしている無機物がこれでもかと息づき、祭りめいています。
「なけなしの勇気と、はかりしれない純情」となかはられいこさんが評していますが、わたしも丸山さんの句集『アルバトロス』を読んでいたときにも思ったことなのですが、丸山さんの句は〈絶望〉と〈希望〉の極端な配合がとてもおもしろいと感じました。たとえばわたしの好きな句に、
飛び降りるところが今日も混んでいる 丸山進『アルバトロス』
という句があるのですが、「飛び降りる」という極端な〈絶望〉が「混んでいる」ことによって遂行できないというユーモラスな〈希望〉がうまれています。絶望のジャンプ力です(「絶望の結果見たくて生きている 丸山進」!)。
これをわたしはニーチェがかつて〈強さのペシミズム〉と呼んだような〈強さの絶望〉と呼んでみたいんですね。あるいは荻原裕幸さんが「これはもうビョーキに近いのではないか」と評されているので〈強さのビョーキ〉とも。ニーチェも、病気になってはじめて見いだせる風景がある、といっています。荻原さんのいうとおり、「明るく朗らかに壊れてゆく」したたかさ、です。
折れることがなかった折れ線グラフのように、きょうもまっすぐでタフな絶望を。
卓袱台をひっくり返す夢がある 丸山進
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