【感想】瀧村小奈生「木じゃないとこ」『川柳ねじまき#1』
- 2014/08/08
- 01:00
まだすこし木じゃないとこが残ってる 瀧村小奈生
【最初に予告しておきますが最後に笑います。】
『川柳ねじまき』から瀧村小奈生さんの連をみてみます。
あやふやな海岸線をもつからだ 瀧村小奈生
以前から瀧村さんのこの句について考えていて、で、これはわたしは誰かがこの語り手に「こんなことになったのは、おまえがあやふやな海岸線なんてもっているからだ!」と怒っているような句として理解していたんですね。
ところか今回、この「木じゃないとこ」という連でこの句をみたときに、この句に対する読み取りのコードが変わったんです。これって実は「あやふやな海岸線をもっている身体」のことなんじゃないかと。
なぜならこの連は〈身体〉があふれているんですね。
たとえば表題句の、
まだすこし木じゃないとこが残ってる 瀧村小奈生
も、かんがえてみると、身体論的な句だとおもうんです。「木である/木じゃない」というカテゴリーをもちだすことによって木の〈身体〉を主題化しているわけです。
ですからさきほどの話なんですが、海岸線をもった「身体」とも読みとれる。じゃあ、柳本、あやふやな海岸線の句はどっちが正解なんだ、ときかれそうですが、〈どっち〉でもいいんです。つまりですね、〈連〉という文脈によって新たな〈身体〉としての意味が浮上してきたように実は瀧村さんの句はどういった文脈におかれるかで違った意味がそのつどひきずりだされ生成される句が多いんじゃないかとおもっています。
ですからさきほどの「まだすこし木じゃないとこが残ってる」の句もですね、「海岸線をもつからだ」の句と共鳴して、これってもしかするといま語り手の身体が木と化していっていて、でもまだ木じゃないとこが残ってるっていうなんかこわい句なんじゃないかとかそういうちがった読みが連のなかで共鳴しあい、意味を生成していくわけです。つまり瀧村さんの句で興味深いのは、句自体の変化する身体性にくわえて、連という文脈としての身体性がおおきく奏効しているということです。
それではすこし句自体が身体性をおびていると思われる句を瀧村さんのこの連から紹介してみます。
陽だまりのふちをなぞると冷やっこい
待ちくたびれてひっぱった空
三日月にさわった指を出しなさい
汗の匂いなどさせてさやえんどう透ける
ここからが父そこはみずうみ
長くなった影をはずしているところ
いろはにほへとへとになるまでさくら
ちなみに句の身体性とさきほどわたしはいいましたが、ひとも笑うように、句も笑うんですよ。じつは。からだをもっている句なら。おどろくべきことに。わらうんです。こんなふうに。こんなようにして。
脱ぎたての靴下みたいでしょ(笑) 瀧村小奈生
【最初に予告しておきますが最後に笑います。】
『川柳ねじまき』から瀧村小奈生さんの連をみてみます。
あやふやな海岸線をもつからだ 瀧村小奈生
以前から瀧村さんのこの句について考えていて、で、これはわたしは誰かがこの語り手に「こんなことになったのは、おまえがあやふやな海岸線なんてもっているからだ!」と怒っているような句として理解していたんですね。
ところか今回、この「木じゃないとこ」という連でこの句をみたときに、この句に対する読み取りのコードが変わったんです。これって実は「あやふやな海岸線をもっている身体」のことなんじゃないかと。
なぜならこの連は〈身体〉があふれているんですね。
たとえば表題句の、
まだすこし木じゃないとこが残ってる 瀧村小奈生
も、かんがえてみると、身体論的な句だとおもうんです。「木である/木じゃない」というカテゴリーをもちだすことによって木の〈身体〉を主題化しているわけです。
ですからさきほどの話なんですが、海岸線をもった「身体」とも読みとれる。じゃあ、柳本、あやふやな海岸線の句はどっちが正解なんだ、ときかれそうですが、〈どっち〉でもいいんです。つまりですね、〈連〉という文脈によって新たな〈身体〉としての意味が浮上してきたように実は瀧村さんの句はどういった文脈におかれるかで違った意味がそのつどひきずりだされ生成される句が多いんじゃないかとおもっています。
ですからさきほどの「まだすこし木じゃないとこが残ってる」の句もですね、「海岸線をもつからだ」の句と共鳴して、これってもしかするといま語り手の身体が木と化していっていて、でもまだ木じゃないとこが残ってるっていうなんかこわい句なんじゃないかとかそういうちがった読みが連のなかで共鳴しあい、意味を生成していくわけです。つまり瀧村さんの句で興味深いのは、句自体の変化する身体性にくわえて、連という文脈としての身体性がおおきく奏効しているということです。
それではすこし句自体が身体性をおびていると思われる句を瀧村さんのこの連から紹介してみます。
陽だまりのふちをなぞると冷やっこい
待ちくたびれてひっぱった空
三日月にさわった指を出しなさい
汗の匂いなどさせてさやえんどう透ける
ここからが父そこはみずうみ
長くなった影をはずしているところ
いろはにほへとへとになるまでさくら
ちなみに句の身体性とさきほどわたしはいいましたが、ひとも笑うように、句も笑うんですよ。じつは。からだをもっている句なら。おどろくべきことに。わらうんです。こんなふうに。こんなようにして。
脱ぎたての靴下みたいでしょ(笑) 瀧村小奈生
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の川柳感想