【感想】荻原裕幸「るるるると逝く」『川柳ねじまき#1』
- 2014/08/09
- 08:43
サ行へとからだをゆるく傾ける 荻原裕幸
【エクリチューるの箱船に乗って】
荻原さんの連をひとめみた瞬間にすぐに気がつくことがあって、それはすべての句の長さが〈均等〉だということです。
他のメンバーすべてが15字を超えていたのに対し、荻原さんのはすべて15字以内でおさまっています。それを超えることはありません。また極端に短い句もなく、すべてが14字か15字でほぼ均等にそろえられています。
ここらへんからすこし荻原さんの川柳について考えてみたいとおもいます。
その〈均等さ〉についてはさまざまな理由が考えられると思うんですが、ひとつの理由にわたしは「きゃ」「しゅ」「にょ」などの二字になるような〈拗音〉の徹底した排除があるのではないかとおもいます。拗音の沈黙した世界の構築。
拗音とは「曲がった音」という意味があるんですが(実際「にゃ」や「しゅ」と発音するとくちびるがまがります)、荻原さんの川柳の世界は〈ストレート〉な具現化が多いことにきづきます。〈ストレート〉な具現化とはもっとひらたいいいかたをすれば、語り手が世界をそのままに(たとえどんなにイレギュラーなことが起こったとしても)記述していく論理です。あげてみます。
のぞき見てそのまま川の水となる
木陰から急にわたしの顔がでる
ありふれた音しかしない湯に沈む
何ひとつ言わずに梅になっている
体から出てくる船のようなもの
これらは語り手に対して急激な変化が、語り手そのものが変態しつつあるときのドラスティックな状況であるはずなんですが、語り手は冷静に記述しています。
つまり語り手にとってはエクリチュール(書く行為/書かれたもの/文字)と身体(いま変化しているわたし)は別物としてとらえられているということができます(逮捕されても・変身しても・城にたどりつけてもたんたんと記述されつづけるカフカの小説を想起してもいいかもしれません)。
こうした世界を〈ストレート〉に記述していくエクリチュールと身体の分離が荻原さんのこの連のひとつの特徴のようにおもうんですね。
ですから、句末のほぼ半数以上が「る」で占められているというこの連の構成がたとえなかったとしても、「るるるると逝く」という表題に不思議さはないのではないかとおもうのです。なぜなら「るるるる」というのはエクリチュール(書く行為/書かれたもの/文字)そのものの志向をあらわしており、「逝く」といった〈死〉が重ね合わせられることで、「るるるると(うたいながら/書きながら)逝く」だけでなかう、「るるるる(エクリチュール)」と「逝く(語り手の身体)」の分離のテーマとしても読めるからです。
エクリチュールのエレベーターは実際こんなふうにも機能しはじめています。
開閉開閉開閉開閉開まだ五階だ 荻原裕幸
【エクリチューるの箱船に乗って】
荻原さんの連をひとめみた瞬間にすぐに気がつくことがあって、それはすべての句の長さが〈均等〉だということです。
他のメンバーすべてが15字を超えていたのに対し、荻原さんのはすべて15字以内でおさまっています。それを超えることはありません。また極端に短い句もなく、すべてが14字か15字でほぼ均等にそろえられています。
ここらへんからすこし荻原さんの川柳について考えてみたいとおもいます。
その〈均等さ〉についてはさまざまな理由が考えられると思うんですが、ひとつの理由にわたしは「きゃ」「しゅ」「にょ」などの二字になるような〈拗音〉の徹底した排除があるのではないかとおもいます。拗音の沈黙した世界の構築。
拗音とは「曲がった音」という意味があるんですが(実際「にゃ」や「しゅ」と発音するとくちびるがまがります)、荻原さんの川柳の世界は〈ストレート〉な具現化が多いことにきづきます。〈ストレート〉な具現化とはもっとひらたいいいかたをすれば、語り手が世界をそのままに(たとえどんなにイレギュラーなことが起こったとしても)記述していく論理です。あげてみます。
のぞき見てそのまま川の水となる
木陰から急にわたしの顔がでる
ありふれた音しかしない湯に沈む
何ひとつ言わずに梅になっている
体から出てくる船のようなもの
これらは語り手に対して急激な変化が、語り手そのものが変態しつつあるときのドラスティックな状況であるはずなんですが、語り手は冷静に記述しています。
つまり語り手にとってはエクリチュール(書く行為/書かれたもの/文字)と身体(いま変化しているわたし)は別物としてとらえられているということができます(逮捕されても・変身しても・城にたどりつけてもたんたんと記述されつづけるカフカの小説を想起してもいいかもしれません)。
こうした世界を〈ストレート〉に記述していくエクリチュールと身体の分離が荻原さんのこの連のひとつの特徴のようにおもうんですね。
ですから、句末のほぼ半数以上が「る」で占められているというこの連の構成がたとえなかったとしても、「るるるると逝く」という表題に不思議さはないのではないかとおもうのです。なぜなら「るるるる」というのはエクリチュール(書く行為/書かれたもの/文字)そのものの志向をあらわしており、「逝く」といった〈死〉が重ね合わせられることで、「るるるると(うたいながら/書きながら)逝く」だけでなかう、「るるるる(エクリチュール)」と「逝く(語り手の身体)」の分離のテーマとしても読めるからです。
エクリチュールのエレベーターは実際こんなふうにも機能しはじめています。
開閉開閉開閉開閉開まだ五階だ 荻原裕幸
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