【感想】月夜かなめがねをかけた蝶々かな 金原まさ子
- 2014/08/08
- 23:50
月夜かなめがねをかけた蝶々かな 金原まさ子
【ソシタラ花は答エタンダ一度ダケ答四度ダケ答エタンダ光はイラネ水ヲ下さイ】
俳句において〈ワル〉になるにはどうしたらいいのかをテクニカルな面で描いてるのが金原さんの句なんじゃないかとおもうんですよね。
その技巧を通じてしか行き着けない〈ワルさ〉が金原さんの句のひとつの魅力なのではないかと。
まず、ふつうは句末におかれる切れ字の「かな」が二度もでてくることが〈ワル〉いですよね。体育館倉庫でなんか切れ字を使ってワルいことしてるようなきもちになりますよね。
切れ字の「かな」ってそれまでの空間を離陸してスパークさせる機能をもっているとおもうんですね。ふわっとボディが痙攣的にもちあがるかんじです。こういってもよいなら、俳句における〈イク瞬間〉=絶頂(エクスタシー)なのではないかとおもうんです。そこから時空間がひろがっていくので。
ところが金原さんのこの句は、二回もイっているわけです。最初にすぐイって、最後でまたイっている。ワルいなあとおもうわけです。
それから、まだワルいんです。月夜という季語は秋だとおもうんですが、蝶々という季語は春なんですよね。季語がダブルで入ってるだけでなく、季感がひっちゃかめっちゃかな句がこの句だとおもうんですよ(季違い)。『密着警察24時』で追いかけ回されている〈暴走車両〉のような不安定感です。ワルい。
そしてさらにおもうんですが、この蝶々はめがねをかけているんですよね。だから、そもそものみえている風景がいりみだれたものとして乱視=乱交的なものとしてあるのかもしれないともおもうんです。景が痙攣しているというか。視界もワルいです。
ワルくてカッコイイ俳句だなあ、とおもいます。わたしも、ワルい表現を追究できたらいいなあといつもおもっています。健全な技巧的ワルさをどうやってみ(に)つけたらいいのかと。
ワルい表現の森を徘徊して、ワルい赤ずきんとしてワルいことをたくさんして、すべてのワルさを善良なオオカミのおなかに詰め込んだあとで、まるでそんなことがなにもなかったかのように、いっさいをわすれたかのように、ねむりたいな、とおもうんです。逝きながら。引き攣れながら。
昼顔のように枕へたどりつく 金原まさ子
【ソシタラ花は答エタンダ一度ダケ答四度ダケ答エタンダ光はイラネ水ヲ下さイ】
俳句において〈ワル〉になるにはどうしたらいいのかをテクニカルな面で描いてるのが金原さんの句なんじゃないかとおもうんですよね。
その技巧を通じてしか行き着けない〈ワルさ〉が金原さんの句のひとつの魅力なのではないかと。
まず、ふつうは句末におかれる切れ字の「かな」が二度もでてくることが〈ワル〉いですよね。体育館倉庫でなんか切れ字を使ってワルいことしてるようなきもちになりますよね。
切れ字の「かな」ってそれまでの空間を離陸してスパークさせる機能をもっているとおもうんですね。ふわっとボディが痙攣的にもちあがるかんじです。こういってもよいなら、俳句における〈イク瞬間〉=絶頂(エクスタシー)なのではないかとおもうんです。そこから時空間がひろがっていくので。
ところが金原さんのこの句は、二回もイっているわけです。最初にすぐイって、最後でまたイっている。ワルいなあとおもうわけです。
それから、まだワルいんです。月夜という季語は秋だとおもうんですが、蝶々という季語は春なんですよね。季語がダブルで入ってるだけでなく、季感がひっちゃかめっちゃかな句がこの句だとおもうんですよ(季違い)。『密着警察24時』で追いかけ回されている〈暴走車両〉のような不安定感です。ワルい。
そしてさらにおもうんですが、この蝶々はめがねをかけているんですよね。だから、そもそものみえている風景がいりみだれたものとして乱視=乱交的なものとしてあるのかもしれないともおもうんです。景が痙攣しているというか。視界もワルいです。
ワルくてカッコイイ俳句だなあ、とおもいます。わたしも、ワルい表現を追究できたらいいなあといつもおもっています。健全な技巧的ワルさをどうやってみ(に)つけたらいいのかと。
ワルい表現の森を徘徊して、ワルい赤ずきんとしてワルいことをたくさんして、すべてのワルさを善良なオオカミのおなかに詰め込んだあとで、まるでそんなことがなにもなかったかのように、いっさいをわすれたかのように、ねむりたいな、とおもうんです。逝きながら。引き攣れながら。
昼顔のように枕へたどりつく 金原まさ子
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