【感想】父親は仏間に眠り二階には刺繍の糸がちらばっていた 東直子
- 2014/08/11
- 07:55
父親は仏間に眠り二階には刺繍の糸がちらばっていた 東直子
家の中に住みつくということは、同時に分節化された空間を個人が内面化することを意味している。 前田愛『都市空間のなかの文学』
【n次元にある家】
以前からかんがえていたことに短歌において〈家〉の構造が詠み込まれるときにどうも〈関係〉の構造がそこに転移されていくらしい、というのがあったんです。
東さんの短歌をみたときにぱっとおもいだしたのが次の若山牧水の短歌です。
妻はしたにわれは二階にむきむきにちさき窓あけくもり日(び)に居る 若山牧水
この歌をわたしなりにかんがえてみると妻とわれは一階と二階にわかれてそれぞれのことに「むきむき」=ばらばらな態度でのぞんでいるんですが、しかしそうした「むきむき」を家がおなじ空間として統括している。だからこそ、結句の「くもり日に居る」というのが家をつつむさらにおおきな「家」として「not むきむき」として機能しているとおもうんです。ミクロではばらばらなんだけど、マクロでは包括的なんだよ、ということを家の構造にたくして歌っているのではないかと。
で、東さんの歌も一階と二階にわかれているうたです。ただこれは家の構造をうたっているものの最後までマクロな統括する視点がでてこないのが大事ではないかとおもいます。結句で語られているように「ちらばっ」たままです。
もうひとつこの歌で大事なのは、「父親は」と「二階には」という対比による歌の構造的ねじれです。「一階は」でなく、「父親は」が大事だとおもうんです。つまりここでは「父親」は〈一階〉の表象=代行して語られています。ところが〈二階〉には〈二階〉を表象=代行するものが不在です。「刺繍の糸」と取ることもできますが、「ちらばっていた」ことからそれはむしろ〈不在〉の表象=代行として「刺繍の糸」はあるようにおもうんですね。それは〈二階〉的なものではなくて。
あらためてこの歌をかんがえれば、ここにはあるのは徹底した主体の機能不全です。父親は眠っていて、ちらばった刺繍の糸を整える主体もいません。投げ出されたままです。
しかしさらに〈機能不全〉におちいっているのはこの〈家〉の構造なのではないかとおもうんですね。さきほどみたように、家の構造は言語を介してねじれており、そのねじれを回収してくれるようなマクロな包括的統辞としての「くもり日に居る」もありません。
ということはですね、さらにおしすすめると、この歌というのは実は語り手のことばによる統辞の様相が機能不全におちいっている歌とみることができるんじゃないかとおもうんですね。つまり、家の構造がねじれるくらいに語り手はなにかに気づきなにかをおそれなにかにゆれている。それがそもそもの語法のぶれとしてあらわれているのではないか。
もういちどあらためて若山牧水のうたをみなおしてみると若山牧水の歌がかなり構造として安定しているのがわかるとおもいます。
東さんのうたはそうした安定した家の構造を逆手にとって語り手の〈動揺〉としてのねじれとして構成されたうたなんじゃないかとおもうのです。
〈ねじれ〉によって、構造をとおして、説明的にも心理的にもなることなく、そのひとそのものをつきつめてしまう非構造的構造の、ちから。
智恵の輪をつなげてはずしまたつなげあなたはどんな人だったのか 東直子
家の中に住みつくということは、同時に分節化された空間を個人が内面化することを意味している。 前田愛『都市空間のなかの文学』
【n次元にある家】
以前からかんがえていたことに短歌において〈家〉の構造が詠み込まれるときにどうも〈関係〉の構造がそこに転移されていくらしい、というのがあったんです。
東さんの短歌をみたときにぱっとおもいだしたのが次の若山牧水の短歌です。
妻はしたにわれは二階にむきむきにちさき窓あけくもり日(び)に居る 若山牧水
この歌をわたしなりにかんがえてみると妻とわれは一階と二階にわかれてそれぞれのことに「むきむき」=ばらばらな態度でのぞんでいるんですが、しかしそうした「むきむき」を家がおなじ空間として統括している。だからこそ、結句の「くもり日に居る」というのが家をつつむさらにおおきな「家」として「not むきむき」として機能しているとおもうんです。ミクロではばらばらなんだけど、マクロでは包括的なんだよ、ということを家の構造にたくして歌っているのではないかと。
で、東さんの歌も一階と二階にわかれているうたです。ただこれは家の構造をうたっているものの最後までマクロな統括する視点がでてこないのが大事ではないかとおもいます。結句で語られているように「ちらばっ」たままです。
もうひとつこの歌で大事なのは、「父親は」と「二階には」という対比による歌の構造的ねじれです。「一階は」でなく、「父親は」が大事だとおもうんです。つまりここでは「父親」は〈一階〉の表象=代行して語られています。ところが〈二階〉には〈二階〉を表象=代行するものが不在です。「刺繍の糸」と取ることもできますが、「ちらばっていた」ことからそれはむしろ〈不在〉の表象=代行として「刺繍の糸」はあるようにおもうんですね。それは〈二階〉的なものではなくて。
あらためてこの歌をかんがえれば、ここにはあるのは徹底した主体の機能不全です。父親は眠っていて、ちらばった刺繍の糸を整える主体もいません。投げ出されたままです。
しかしさらに〈機能不全〉におちいっているのはこの〈家〉の構造なのではないかとおもうんですね。さきほどみたように、家の構造は言語を介してねじれており、そのねじれを回収してくれるようなマクロな包括的統辞としての「くもり日に居る」もありません。
ということはですね、さらにおしすすめると、この歌というのは実は語り手のことばによる統辞の様相が機能不全におちいっている歌とみることができるんじゃないかとおもうんですね。つまり、家の構造がねじれるくらいに語り手はなにかに気づきなにかをおそれなにかにゆれている。それがそもそもの語法のぶれとしてあらわれているのではないか。
もういちどあらためて若山牧水のうたをみなおしてみると若山牧水の歌がかなり構造として安定しているのがわかるとおもいます。
東さんのうたはそうした安定した家の構造を逆手にとって語り手の〈動揺〉としてのねじれとして構成されたうたなんじゃないかとおもうのです。
〈ねじれ〉によって、構造をとおして、説明的にも心理的にもなることなく、そのひとそのものをつきつめてしまう非構造的構造の、ちから。
智恵の輪をつなげてはずしまたつなげあなたはどんな人だったのか 東直子
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