【感想】細紐で吊るされている金魚鉢 大西俊和
- 2014/08/15
- 03:21
細紐で吊るされている金魚鉢 大西俊和
【世界はすでにあふれてる】
大西俊和さんの川柳にみられる過激な〈静〉と〈動〉のダイナミズムに注目したいとおもいます。
掲句では、金魚鉢が細紐で吊るされています。細紐で吊られている状態としての〈静〉に、潜在的に金魚鉢が落ちて粉々に砕け散る〈動〉が潜伏しています。ことばを変えるならば、〈静〉によって過激な〈動〉が支えられているという二項対立がねじれ、直線状になっていくところにこの句の〈割れ〉そうな緊張感があると思います。
そうした直線状の過激なダイナミズムを大西さんの句からもうすこしあげてみます。
早く逢いたい睡眠剤を二錠飲む 大西俊和
約束が僕を静かな滝にする
僕の迷いを知らずに開く自動ドア
「早く逢いたい」という衝動を成立させるのが「睡眠」という静的なものである点。約束としての静けさと激しさを成立させている「静かな滝」。「僕の迷い」としてのスタティックとは無関係に、しかし無機的・暴力的にかかわりあってくるダイナミクスとしての「自動ドア」。
大西さんの川柳には、こうした語り手が激しさと静けさを直線状においてたちあう瞬間があらわれていて、その緊張感がひとつの意味の起爆剤になっているようにおもうんですね。
ところで、傘、というのは非常におもしろい〈仕組み〉だと思います。「晴れの日」という快適な日にはたたまれて抑圧されている点。ところが雨という鬱屈した日には、ワンボタンでばっと一気に傘がひろがり、開放される点。そうした抑圧からのカタルシスは、実はひとの心的構造とよく似た仕組みであるようにもおもいます。だから、傘とはもしかしたらそうしたわたしたちの心的構造のダイナミズムを投影させた装置としてあるかもしれません。だからにんげんがさす雨の日には、
喜びと悲しみの傘すれ違う 大西俊和
【世界はすでにあふれてる】
大西俊和さんの川柳にみられる過激な〈静〉と〈動〉のダイナミズムに注目したいとおもいます。
掲句では、金魚鉢が細紐で吊るされています。細紐で吊られている状態としての〈静〉に、潜在的に金魚鉢が落ちて粉々に砕け散る〈動〉が潜伏しています。ことばを変えるならば、〈静〉によって過激な〈動〉が支えられているという二項対立がねじれ、直線状になっていくところにこの句の〈割れ〉そうな緊張感があると思います。
そうした直線状の過激なダイナミズムを大西さんの句からもうすこしあげてみます。
早く逢いたい睡眠剤を二錠飲む 大西俊和
約束が僕を静かな滝にする
僕の迷いを知らずに開く自動ドア
「早く逢いたい」という衝動を成立させるのが「睡眠」という静的なものである点。約束としての静けさと激しさを成立させている「静かな滝」。「僕の迷い」としてのスタティックとは無関係に、しかし無機的・暴力的にかかわりあってくるダイナミクスとしての「自動ドア」。
大西さんの川柳には、こうした語り手が激しさと静けさを直線状においてたちあう瞬間があらわれていて、その緊張感がひとつの意味の起爆剤になっているようにおもうんですね。
ところで、傘、というのは非常におもしろい〈仕組み〉だと思います。「晴れの日」という快適な日にはたたまれて抑圧されている点。ところが雨という鬱屈した日には、ワンボタンでばっと一気に傘がひろがり、開放される点。そうした抑圧からのカタルシスは、実はひとの心的構造とよく似た仕組みであるようにもおもいます。だから、傘とはもしかしたらそうしたわたしたちの心的構造のダイナミズムを投影させた装置としてあるかもしれません。だからにんげんがさす雨の日には、
喜びと悲しみの傘すれ違う 大西俊和
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