燃えるあとがき
- 2014/08/17
- 01:15
同じだね社会も人も壊れかた ひとり静
なにから現象は救われるのだろうか。──現象はそのうちに潜む亀裂を明らかにすることによって救われる。──破局である伝承が存在する。 ベンヤミン『パサージュ論』
【17音の花火をうちあげる】
いつにもましてすごくアバウトで雑ないいかたをするのだが、もしかしたら〈現代川柳〉というのは〈現代思想〉の感覚と親和性が高いのかもしれない、とおもうことがある。
へんな川柳の持ち上げ方になってしまうから、慎重にいわらなければならないとはおもうのだけれど、もし現代思想のひとつのテーマが、〈なに〉をいうのか、ではなく、《〈なに〉をいうのか》をいうのは〈だれ〉なのか、にあるとするならば、そうした発話よりもむしろ発話の主体化のプロセスを問うのであれば、その主体化のプロセスを描くやりかたがすこし川柳と似ているかなともおもうからである。
だからといって、この川柳はこんな理論を使うと読み解けますよ、ということではなくて、ひとつのアプローチとして、この川柳とこの思想家をぶつけあうと(ひとつの可能性として)こんな意味の火花がでますよ、というやり方はありかもしれない、ともおもう。
どのみち、句は、どんなやり方をしても燃え尽きようはずがないとも、おもっている。
ロマンチックないいぶんとしてそういっているよりも、むしろ定型という極端な短さが句の消尽を防いでいる。
意味を焼き尽くすには、手がかりがすくなすぎるのである。
が、にもかかわらず、意味は、燃える。
川柳はあちこちからいろいろな文化記号をひきこんでくる。川柳には季語がないから、そのぶん、同時代の文化軸のなかから引き込んできて、そこから逸脱-構築していくやりかたで句を築いていく。たいていは、現代川柳の場合、使おうとする文化記号に対して非構築的だとおもう(つまり、その文化記号を使おうとはするけれど、内実には逆らってゆく)。
そうした身ぶりとしての〈ひねくれ〉が私はとても現代思想にちかい気がすることがある。
まず君が。私はひとつの答えしか待っていない、それは君に帰着する答えだ。 デリダ『絵葉書Ⅰ』
最後まで話せずにいた神秘の「ん」 柳本々々
(『川柳綿毛の会』2014年8月)
なにから現象は救われるのだろうか。──現象はそのうちに潜む亀裂を明らかにすることによって救われる。──破局である伝承が存在する。 ベンヤミン『パサージュ論』
【17音の花火をうちあげる】
いつにもましてすごくアバウトで雑ないいかたをするのだが、もしかしたら〈現代川柳〉というのは〈現代思想〉の感覚と親和性が高いのかもしれない、とおもうことがある。
へんな川柳の持ち上げ方になってしまうから、慎重にいわらなければならないとはおもうのだけれど、もし現代思想のひとつのテーマが、〈なに〉をいうのか、ではなく、《〈なに〉をいうのか》をいうのは〈だれ〉なのか、にあるとするならば、そうした発話よりもむしろ発話の主体化のプロセスを問うのであれば、その主体化のプロセスを描くやりかたがすこし川柳と似ているかなともおもうからである。
だからといって、この川柳はこんな理論を使うと読み解けますよ、ということではなくて、ひとつのアプローチとして、この川柳とこの思想家をぶつけあうと(ひとつの可能性として)こんな意味の火花がでますよ、というやり方はありかもしれない、ともおもう。
どのみち、句は、どんなやり方をしても燃え尽きようはずがないとも、おもっている。
ロマンチックないいぶんとしてそういっているよりも、むしろ定型という極端な短さが句の消尽を防いでいる。
意味を焼き尽くすには、手がかりがすくなすぎるのである。
が、にもかかわらず、意味は、燃える。
川柳はあちこちからいろいろな文化記号をひきこんでくる。川柳には季語がないから、そのぶん、同時代の文化軸のなかから引き込んできて、そこから逸脱-構築していくやりかたで句を築いていく。たいていは、現代川柳の場合、使おうとする文化記号に対して非構築的だとおもう(つまり、その文化記号を使おうとはするけれど、内実には逆らってゆく)。
そうした身ぶりとしての〈ひねくれ〉が私はとても現代思想にちかい気がすることがある。
まず君が。私はひとつの答えしか待っていない、それは君に帰着する答えだ。 デリダ『絵葉書Ⅰ』
最後まで話せずにいた神秘の「ん」 柳本々々
(『川柳綿毛の会』2014年8月)
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