【感想】中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
- 2014/08/18
- 08:19
中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
定型は迷宮だろう噴水にしばらくぬれてわたしは遠い 加藤治郎
定型を上と下から削りましょう最後に残る一文字(ワタクシ)のため 野口あや子
【クレタ人はうそつきだとクレタ人は言った】
川柳の入門書を読んでいるとたいてい中八は避けるべきと書いてあって、たしか時実新子さんがこんなふうにその理由をいっていたとおもいます。
句にとって中七というのは、大黒柱のようなものであり、この中七を中七としておく限り、たとえ、上六になっても下四になっても音律はぐらつかない、と。
つまり、中七というのは、川柳にとっては〈ボディ〉であり〈心臓〉であるということにもなると思います。
その中七としてのボディを逆手にとったのが川合さんの句だとおもうんですよね。
この句のひとつの特徴は、川柳が川柳について言及している句なのでメタ川柳であるということです(ちなみにこのような定型そのものを短歌化してしまうメタ短歌を特徴とするうたに加藤治郎さんや野口あや子さんの短歌があります)。
メタ川柳であるということ、川柳が川柳について言及しているということは、いってみればこの句は、川柳自体が発話している句ととらえてもいいんではないかとおもうんですね。
で、この句がおもしろいのは、「わたしはうそつきです」という矛盾を含んだ句になっているところです。そこにこの句の最大の醍醐味があるとわたしはかんがえます。
「わたしはうそつきです」という文は、わたしはうそつきならば「わたしはうそつきです」は「うそ」なので、正直者ということになりますよね。でも、正直者ならばうそはいわないはずなので、「うそつき」ということになります。というふうに、堂々巡りすることを特徴とする文です。
で、この川合さんの句も、句の形態が中7ではなく中八をきちんととっていることが大事です。なぜなら、「中八がそんなに憎いかさあ殺せ」という句がほんとうに読み手に憎しみと殺意をたぎらせたならば、ちゃんと「中八」が伝導=電導の役目として機能しているからです。この句はそもそも中八なんですから、ほんとうに中八を忌み嫌う人にはこんな句ははしにもぼうにもかからないはずです。ところがこれがびびっときて殺意がめばえたならば、中八が立派に奏功しているのです。
というふうに、この句は読み手を「わたしはうそつきです」の空間に宙づりさせることにおもしろさがあるのではないかとわたしはおもうんです。
さいごにおなじ川合さんの句で、やはり興味深いメタ川柳を。
五・七・五きみも誰かの素数です 川合大祐
定型は迷宮だろう噴水にしばらくぬれてわたしは遠い 加藤治郎
定型を上と下から削りましょう最後に残る一文字(ワタクシ)のため 野口あや子
【クレタ人はうそつきだとクレタ人は言った】
川柳の入門書を読んでいるとたいてい中八は避けるべきと書いてあって、たしか時実新子さんがこんなふうにその理由をいっていたとおもいます。
句にとって中七というのは、大黒柱のようなものであり、この中七を中七としておく限り、たとえ、上六になっても下四になっても音律はぐらつかない、と。
つまり、中七というのは、川柳にとっては〈ボディ〉であり〈心臓〉であるということにもなると思います。
その中七としてのボディを逆手にとったのが川合さんの句だとおもうんですよね。
この句のひとつの特徴は、川柳が川柳について言及している句なのでメタ川柳であるということです(ちなみにこのような定型そのものを短歌化してしまうメタ短歌を特徴とするうたに加藤治郎さんや野口あや子さんの短歌があります)。
メタ川柳であるということ、川柳が川柳について言及しているということは、いってみればこの句は、川柳自体が発話している句ととらえてもいいんではないかとおもうんですね。
で、この句がおもしろいのは、「わたしはうそつきです」という矛盾を含んだ句になっているところです。そこにこの句の最大の醍醐味があるとわたしはかんがえます。
「わたしはうそつきです」という文は、わたしはうそつきならば「わたしはうそつきです」は「うそ」なので、正直者ということになりますよね。でも、正直者ならばうそはいわないはずなので、「うそつき」ということになります。というふうに、堂々巡りすることを特徴とする文です。
で、この川合さんの句も、句の形態が中7ではなく中八をきちんととっていることが大事です。なぜなら、「中八がそんなに憎いかさあ殺せ」という句がほんとうに読み手に憎しみと殺意をたぎらせたならば、ちゃんと「中八」が伝導=電導の役目として機能しているからです。この句はそもそも中八なんですから、ほんとうに中八を忌み嫌う人にはこんな句ははしにもぼうにもかからないはずです。ところがこれがびびっときて殺意がめばえたならば、中八が立派に奏功しているのです。
というふうに、この句は読み手を「わたしはうそつきです」の空間に宙づりさせることにおもしろさがあるのではないかとわたしはおもうんです。
さいごにおなじ川合さんの句で、やはり興味深いメタ川柳を。
五・七・五きみも誰かの素数です 川合大祐
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