【あとがき】松本潤一郎『ドゥルーズ 生成変化のサブマリン』のあとがき
- 2014/08/18
- 08:30
哲学の言説は、「開始」だけを告げる。哲学は私たちに、私たちが各々、みずからの仕方で問いを立て、みずから思考を開始するよう、促すからである。哲学とは、みずから考えることである。そして哲学は、いつ、どこにおいても、誰によっても、開始されうる。私たちの考えるという行為の出発点は、恣意ではなく、任意であり、哲学はこの任意性を、全身全霊で護りぬく。みずから考えること。哲学の言説が私たちに告げるのはこのことである。したがって、哲学には師弟関係や主従関係は存在しない。哲学の言説は、自分で考えよ、ここから開始せよ、と告げるだけだからである。この点で哲学は、転移関係や性的関係をも含めた、あらゆる権力関係から区別される。哲学とは、私たちの既存のあらゆる関係を断ち切り、私たちにみずから考えることを促す言説、非-関係性の言説だからである。
(……)
利害を計算しないこと、既成の諸関係の総体-集合の中に数えられないこと。哲学者とは、数えられない者である。先頭に立つのではなく、端緒でしかなく、去ってゆく者である。
松本潤一郎「跋」『ドゥルーズ 生成変化のサブマリン』
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利害を計算しないこと、既成の諸関係の総体-集合の中に数えられないこと。哲学者とは、数えられない者である。先頭に立つのではなく、端緒でしかなく、去ってゆく者である。
松本潤一郎「跋」『ドゥルーズ 生成変化のサブマリン』
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