【感想】アサガオノカスカナカオススガシカオ 八上桐子
- 2014/08/25
- 13:31
アサガオノカスカナカオススガシカオ 八上桐子
(週刊俳句・柳俳合同誌上句会)
【〈文法〉とは、わたしが〈決め〉たこと】
カタカナ表記ってなんだろう、とおもうんですが、カタカナ表記のひとつのポイントは、分節の破砕にあるとおもうんです。
たとえば、アーティストに「スガシカオ」がいますが、「スガシカオ」というこのことばのポイントは、「スガ/シカオ」だけでなく、「スガシ/カオ」でもあり、「スガ/シカ/オ」でもあるということです。
つまり、日本語表記をカタカナ表記にしたときに、もともと音による意味生成が多層的におこなわれやすいのが日本語であるために(ひらめ→ひら/め→ひ/らめ)、〈分節ジャック〉があちこちで頻繁におきてしまうのではないか。
こうした〈分節ジャック〉または〈分節ゲリラ〉のおもしろさがある句なのではないかとおもうんですね。
しかも、ですね。すべてひらがな、ではなく、スベテカタカナ、にすることによって、外来語の分節もひきよせている。
つまり、わたしたちが把握できない意味の分節があるかもしれない、ということを自然と想起させざるをえないのがスベテカタカナの役割なのではないかとおもうんですね。
で、わたしは〈分節ジャック〉といいいいかたをしたんですが、もしかしたらこんないいかたもできるかもしれません。
語り手は〈スガシカオ〉にジャックされたのだ、と。
スガシカオ文法規則に、語り手の言語が感染してしまったのだと。
スガシカオ文法とは、スベテカタカナであり、ひらがなの分節も破砕してカタカナをすらぬきとおすその力であり、〈スカシカシパン〉というウニのいきものと似ていようが似ていまいが、そのカタカナをつらぬきとおす〈態度〉のことです。
そう、なのです。スガシカオという文法規則は、〈態度〉なのです。わたしはこれでゆくから、という。
そして語り手もまたそのスガシカオ文法を〈態度〉として選んだということです。
ここには大事な問題がふくまれている、とおもいます。
実は言語文法とは、正しいか誤りかではなく、語り手が語り手として選び取る〈態度〉の問題なのである、と。
そして文法規則の〈正しさ〉でひとはなにかをことばをとおしてつたえるのではなく、文法規則としての〈態度〉の強度でひとはなにかを伝えるのだと。
ですから、「ランゲルハンス島」というみんなが大好きな、誰もが知ったら使いたくなってしまうようなタームをどのように〈語用〉の体系のなかで〈態度〉として選び取り書き換えていくかもふくめての強度としての〈言語文法〉なのだと、わたしは、おもいます。
朝のシーツにランゲルハンス島の砂 八上桐子
(週刊俳句・柳俳合同誌上句会)
【〈文法〉とは、わたしが〈決め〉たこと】
カタカナ表記ってなんだろう、とおもうんですが、カタカナ表記のひとつのポイントは、分節の破砕にあるとおもうんです。
たとえば、アーティストに「スガシカオ」がいますが、「スガシカオ」というこのことばのポイントは、「スガ/シカオ」だけでなく、「スガシ/カオ」でもあり、「スガ/シカ/オ」でもあるということです。
つまり、日本語表記をカタカナ表記にしたときに、もともと音による意味生成が多層的におこなわれやすいのが日本語であるために(ひらめ→ひら/め→ひ/らめ)、〈分節ジャック〉があちこちで頻繁におきてしまうのではないか。
こうした〈分節ジャック〉または〈分節ゲリラ〉のおもしろさがある句なのではないかとおもうんですね。
しかも、ですね。すべてひらがな、ではなく、スベテカタカナ、にすることによって、外来語の分節もひきよせている。
つまり、わたしたちが把握できない意味の分節があるかもしれない、ということを自然と想起させざるをえないのがスベテカタカナの役割なのではないかとおもうんですね。
で、わたしは〈分節ジャック〉といいいいかたをしたんですが、もしかしたらこんないいかたもできるかもしれません。
語り手は〈スガシカオ〉にジャックされたのだ、と。
スガシカオ文法規則に、語り手の言語が感染してしまったのだと。
スガシカオ文法とは、スベテカタカナであり、ひらがなの分節も破砕してカタカナをすらぬきとおすその力であり、〈スカシカシパン〉というウニのいきものと似ていようが似ていまいが、そのカタカナをつらぬきとおす〈態度〉のことです。
そう、なのです。スガシカオという文法規則は、〈態度〉なのです。わたしはこれでゆくから、という。
そして語り手もまたそのスガシカオ文法を〈態度〉として選んだということです。
ここには大事な問題がふくまれている、とおもいます。
実は言語文法とは、正しいか誤りかではなく、語り手が語り手として選び取る〈態度〉の問題なのである、と。
そして文法規則の〈正しさ〉でひとはなにかをことばをとおしてつたえるのではなく、文法規則としての〈態度〉の強度でひとはなにかを伝えるのだと。
ですから、「ランゲルハンス島」というみんなが大好きな、誰もが知ったら使いたくなってしまうようなタームをどのように〈語用〉の体系のなかで〈態度〉として選び取り書き換えていくかもふくめての強度としての〈言語文法〉なのだと、わたしは、おもいます。
朝のシーツにランゲルハンス島の砂 八上桐子
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