【感想】おじゃまにはならないポだと思います ひとり静
- 2014/04/26
- 13:18
おじゃまにはならないポだと思います ひとり静
モダリティという、語り手がモノ・コトに対してどんなふうな位置からどんなふうなことばづかいでそれを語ろうとしているかという話しているひとの様相をあらわす概念があるんです。
そのモダリティ、語り手がどんなふうに語ろうとしているかが、この句には大事なんではないかとおもうんです。
「おじゃま」や「と思います」などひじょうにていねいな立場をとっているということがこの語り手のことばづかいから浮かび上がってきます。
つまり、この語り手が語りかけている相手には、あるなんらかの位階があって、しかしその位階という障害をこえてなお、「ポ」をここにいさせたいと語りかけているのがこの語り手の位置です。
そういったバリアーをこえてなお語り手が語りかけ、存続をさせようとしている「ポ」だということです。
語り手が「ポ」に対して並々ならぬ想いを抱いていることがわかります。
ただもう少し深読みしてかんがえてみると、そこまでしていさせようとしている「ポ」というのは一字だけあっても機能しない一字なんですよね。
「あ」や「う」や「お」ならまだ変換させて活用の機能がうかがえます。しかし語り手がぜひともここにと願っているのは「ポ」です。「ポ」一字ではなかなか活用がむずかしい。しかしこの語り手はその「ポ」をどういうわけか押し通そうとしている。しかも立場をきちんとふまえて、それ相応のことばづかいできちんといさせようとするから、まいってしまうわけです。
この句には、そういった語り手が「ポ」に対して想いをいだいているだけでなく、その想いを相手にとおすためにはどういったことばづかいでひとつの句としてあらしめればいいのかというモダリティの輝きがみられるようにおもいます。
想い、というのはぶつければいいというわけではありません。想いを成り立たせる基盤をどれだけ自覚的に相手との相関関係のなかでかたちづくるかが大事です。そんなふうにこの「ポ」が唱えているのではないかとわたしはおもうのです。
モダリティという、語り手がモノ・コトに対してどんなふうな位置からどんなふうなことばづかいでそれを語ろうとしているかという話しているひとの様相をあらわす概念があるんです。
そのモダリティ、語り手がどんなふうに語ろうとしているかが、この句には大事なんではないかとおもうんです。
「おじゃま」や「と思います」などひじょうにていねいな立場をとっているということがこの語り手のことばづかいから浮かび上がってきます。
つまり、この語り手が語りかけている相手には、あるなんらかの位階があって、しかしその位階という障害をこえてなお、「ポ」をここにいさせたいと語りかけているのがこの語り手の位置です。
そういったバリアーをこえてなお語り手が語りかけ、存続をさせようとしている「ポ」だということです。
語り手が「ポ」に対して並々ならぬ想いを抱いていることがわかります。
ただもう少し深読みしてかんがえてみると、そこまでしていさせようとしている「ポ」というのは一字だけあっても機能しない一字なんですよね。
「あ」や「う」や「お」ならまだ変換させて活用の機能がうかがえます。しかし語り手がぜひともここにと願っているのは「ポ」です。「ポ」一字ではなかなか活用がむずかしい。しかしこの語り手はその「ポ」をどういうわけか押し通そうとしている。しかも立場をきちんとふまえて、それ相応のことばづかいできちんといさせようとするから、まいってしまうわけです。
この句には、そういった語り手が「ポ」に対して想いをいだいているだけでなく、その想いを相手にとおすためにはどういったことばづかいでひとつの句としてあらしめればいいのかというモダリティの輝きがみられるようにおもいます。
想い、というのはぶつければいいというわけではありません。想いを成り立たせる基盤をどれだけ自覚的に相手との相関関係のなかでかたちづくるかが大事です。そんなふうにこの「ポ」が唱えているのではないかとわたしはおもうのです。
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