【あとがき】デリダ『エクリチュールと差異〈新訳〉』のあとがき
- 2014/08/28
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ここで思い切って言っておくと、訳者にとってデリダは「システムとはいかなるものか」という問いを極限的地帯にまで推し進めた哲学者のひとりである。パスカルの言うように「二つの無限」に挟まれた森羅万象はどのようにつながり、どのように切り離され、時に固体とも液体とも気体とも、物質とも精神とも呼ばれる様態をまといながら、また、何らかの仕方で個体化され脱個体化されるのか。
(……)
デリダが死去したのは2004年10月8日のことだった。享年74歳。死後10年が経とうとしている。誰が死んだのかは分かっているとしても、その死によって何が失われたのか、何が得られたのかは分からない、と言われることがあるけれども、生前のデリダに様々な意味で親しかった者たちの幾たりかが深甚な衝撃を受けたと打ち明けているのとはちがって、訳者(合田)にはこの死亡の日付はほとんど意味を持つものではなかった。この日付以前にも、たしかにデリダの講演などに接したことはあるとはいえ、デリダが生きているということはいったいどういうことだったのか、いや、デリダは訳者にとって生きていたのかどうか必ずしも判然としない。逆に今も、デリダが生きていない、あるいは死んだということがどういうことなのかよく分からない。(……)そもそもの初めから、「デリダ」という「シニフィアン」は訳者にとって、生とも死とも異なる界域を漠々と漂っていたのではないだろうか。それが「エクリチュール」と呼ばれるものなのかもしれないとも思う。「言語の不安」──それは言語への不安であり言語が引き起こす不安であり、そして何よりも言語という不安でもある──と言い換えてもよい。
合田正人「訳者あとがき」『エクリチュールと差異〈新訳〉』
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デリダが死去したのは2004年10月8日のことだった。享年74歳。死後10年が経とうとしている。誰が死んだのかは分かっているとしても、その死によって何が失われたのか、何が得られたのかは分からない、と言われることがあるけれども、生前のデリダに様々な意味で親しかった者たちの幾たりかが深甚な衝撃を受けたと打ち明けているのとはちがって、訳者(合田)にはこの死亡の日付はほとんど意味を持つものではなかった。この日付以前にも、たしかにデリダの講演などに接したことはあるとはいえ、デリダが生きているということはいったいどういうことだったのか、いや、デリダは訳者にとって生きていたのかどうか必ずしも判然としない。逆に今も、デリダが生きていない、あるいは死んだということがどういうことなのかよく分からない。(……)そもそもの初めから、「デリダ」という「シニフィアン」は訳者にとって、生とも死とも異なる界域を漠々と漂っていたのではないだろうか。それが「エクリチュール」と呼ばれるものなのかもしれないとも思う。「言語の不安」──それは言語への不安であり言語が引き起こす不安であり、そして何よりも言語という不安でもある──と言い換えてもよい。
合田正人「訳者あとがき」『エクリチュールと差異〈新訳〉』
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