【短歌】毎日新聞・毎日歌壇2014年9月1日 加藤治郎 選
- 2014/09/01
- 12:11
あと、なんど座ったり立ち上がったりを繰り返してから死ぬのだろうと、ときどき、おもう。
きちんと数えようと思い、すわるたびに、たちあがるたびに、カウントしていたのだが、ある台風の日に、すばらしい座り方をしたことがあって、それはとても数にはいれられないとおもって、やめてしまった。そのあととても貧困なたちあがりかたをして、わたしは、生きてゆくことのせつなさを感じたりもした。ドーナッツ状の暴風域の静けさをもつまんなかで。
カウントには、ごまかしもあった。すきなひとといっしょにすわったりたちあがったりしたときは、倍数でカウントしていたのである。感情が数字をおびやかしはじめても、いた。
人生でいっかい、素晴らしい立ち上がり方をしたことがあった。
妹の結婚式の親族紹介で名前が呼ばれなかったときである。わたしはおののいて、たちあがった。うつくしく。わたしはここにいます、と。そのとき、わたしは、13カウントつけくわえた。13回ぶんくらいの立ち上がり方のようにおもえたから。
深夜ひとりでゆっくりとたちがあることも、ある。
カウントされないような、あいまいな、たゆたうような、よるべないたちあがりかたを、する。
だれにもしられず、わたしにも把持されず、〈立ち上がる〉だけが、すわったり、たったりする。
夜はふかくて、手をつっこむと、ぐっとふかい部分まではいりそうだ。かなりの弾力があるので、夜でさえも、たちあがったり、すわったりすることが、わかる。
世界は、〈たちあがる〉と〈すわる〉から、構成されている。
ことばも、そうだ。
やがて、ぼくのほう、ゑがゆっくりと寄ってくる。座り、るになる。る語で会話す。
(毎日新聞・毎日歌壇2014年9月1日 加藤治郎 選)
きちんと数えようと思い、すわるたびに、たちあがるたびに、カウントしていたのだが、ある台風の日に、すばらしい座り方をしたことがあって、それはとても数にはいれられないとおもって、やめてしまった。そのあととても貧困なたちあがりかたをして、わたしは、生きてゆくことのせつなさを感じたりもした。ドーナッツ状の暴風域の静けさをもつまんなかで。
カウントには、ごまかしもあった。すきなひとといっしょにすわったりたちあがったりしたときは、倍数でカウントしていたのである。感情が数字をおびやかしはじめても、いた。
人生でいっかい、素晴らしい立ち上がり方をしたことがあった。
妹の結婚式の親族紹介で名前が呼ばれなかったときである。わたしはおののいて、たちあがった。うつくしく。わたしはここにいます、と。そのとき、わたしは、13カウントつけくわえた。13回ぶんくらいの立ち上がり方のようにおもえたから。
深夜ひとりでゆっくりとたちがあることも、ある。
カウントされないような、あいまいな、たゆたうような、よるべないたちあがりかたを、する。
だれにもしられず、わたしにも把持されず、〈立ち上がる〉だけが、すわったり、たったりする。
夜はふかくて、手をつっこむと、ぐっとふかい部分まではいりそうだ。かなりの弾力があるので、夜でさえも、たちあがったり、すわったりすることが、わかる。
世界は、〈たちあがる〉と〈すわる〉から、構成されている。
ことばも、そうだ。
やがて、ぼくのほう、ゑがゆっくりと寄ってくる。座り、るになる。る語で会話す。
(毎日新聞・毎日歌壇2014年9月1日 加藤治郎 選)
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