【感想】じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
- 2014/04/27
- 17:00
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
とても有名な池田澄子さんの俳句です。
この句のおもしろさは、季語(「蛍」)が偶有化しているところがおもしろいんじゃないかとおもうんです。
「じゃんけんで負けて蛍に生まれた」ということは、潜在的にもうひとつの句がこの句には埋め込まれているわけです。
「じゃんけんに勝ってXに生まれたの」と。
つまり、このXの部分に季語がおかれているこの句の構造がだいじなのではないかとおもうのです。
俳句において、季語は特権的な装置であり、季語を中心に構成され、組み立てられるのが俳句です。
ところがその季語がこの句では、偶有的なものとして扱われている。しかも「勝ち」ではなく「負け」で季語にたどりついている。というよりも、「じゃんけん」と
いう偶然性にもとづいて決定づけられる構成のなかに季語がおかれている。
ところが偶有的な季語でありながら、それはいかなる俳句の季語よりも決定的なのです。
なぜなら、「生まれた」とあるように季語そのものがこれからの生になっているからです。
季語そのものをこれから語り手は生き抜かなければならないからです。
ここではもはや季語は構成や構造をかたちづくるものではなく、語り手ののっぴきならない生そのものへと向かう実存性をたたえているようにおもうのです。
そんなふうにこの句のおもしろさは、季語を相対的な構造のただなかにおきながらも、次の瞬間、その季語を絶対的に〈生き〉ようとするそのダイナミズムにおもしろさがあるとおもいます。
とても有名な池田澄子さんの俳句です。
この句のおもしろさは、季語(「蛍」)が偶有化しているところがおもしろいんじゃないかとおもうんです。
「じゃんけんで負けて蛍に生まれた」ということは、潜在的にもうひとつの句がこの句には埋め込まれているわけです。
「じゃんけんに勝ってXに生まれたの」と。
つまり、このXの部分に季語がおかれているこの句の構造がだいじなのではないかとおもうのです。
俳句において、季語は特権的な装置であり、季語を中心に構成され、組み立てられるのが俳句です。
ところがその季語がこの句では、偶有的なものとして扱われている。しかも「勝ち」ではなく「負け」で季語にたどりついている。というよりも、「じゃんけん」と
いう偶然性にもとづいて決定づけられる構成のなかに季語がおかれている。
ところが偶有的な季語でありながら、それはいかなる俳句の季語よりも決定的なのです。
なぜなら、「生まれた」とあるように季語そのものがこれからの生になっているからです。
季語そのものをこれから語り手は生き抜かなければならないからです。
ここではもはや季語は構成や構造をかたちづくるものではなく、語り手ののっぴきならない生そのものへと向かう実存性をたたえているようにおもうのです。
そんなふうにこの句のおもしろさは、季語を相対的な構造のただなかにおきながらも、次の瞬間、その季語を絶対的に〈生き〉ようとするそのダイナミズムにおもしろさがあるとおもいます。
- 関連記事
-
-
【こわい俳句 番外篇】その男さみし首から上が蠅 西原天気 2015/06/26
-
【感想】梨を落とすよ見たいなら見てもいゝけど 外山一機 2015/08/19
-
【感想】戦争・藤木清子・ボディ-或いは現代俳句と刑事フォイル- 2015/10/23
-
【感想】攝津幸彦とまんじゅしゃげパッケージング-最後にムーミン谷へ- 2015/10/15
-
【感想】土器の出る小学校を卒業す 喪字男 2014/10/03
-
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の俳句感想