【お知らせ】詩「乳歯の生えた膣」と感想文「愛に出会う〈渡辺のわたし〉」『抒情文芸』第152号・2014秋
- 2014/09/04
- 22:21
『抒情文芸』第154号・2014秋に詩と感想文を掲載していただきました。
詩は、
「乳歯の生えた膣」入選・清水哲男 選
です。
「ヴァギナ・デンタタ」を考えていたときに書いた詩です。
感想文は、巻末の「プラザ」掲載で、テーマは「愛にであう〈渡辺のわたし〉」というもの。
斉藤斎藤さんの歌集『渡辺のわたし』において〈愛〉がどのように語られ、語り手はその〈愛〉とどういうふうに出会ったかというものです。
「愛とは、ブラックホールへの備給をどうにかこうにか言語化することではないか」。
愛ありき。その愛が君のかたちをとろうとしてるけど、それでいい? 斉藤斎藤
斉藤斎藤さんの歌集の〈豊かさ〉のひとつに、読み手がめいめいでテーマが引き出すことができる、ということがいえるのではないかと思うんです。『渡辺のわたし』というタイトルが象徴的ですが、そこではだれもが〈わたし〉であり、〈わたし〉ではない。そういう倒立する〈わたし〉が非構築的な仕方で構築されているのが『渡辺のわたし』なのではないかとおもうんです。
だから、斉藤斎藤さんも〈渡辺のわたし〉ではないし、語り手も〈渡辺のわたし〉ではないし、読み手も〈渡辺のわたし〉ではない。でもだからこそ、すべての〈わたし〉がそこにXとして関数的に〈わたし〉としてかかわることができる。それが、〈渡辺のわたし〉ではないかとおもうんです。
またこの歌集においては、記号がひとつひとつ〈逆撫で〉されているのもポイントなのではないかとおもいます。
この歌集には多くの文化記号がでてきます。文化記号が出てくるということはその記号がもつ歴史性や文化性がそのつど〈場〉や〈文脈〉をひきずってくる。ところがそれがうまく整合できないように〈短歌化〉されている。読み手はその〈記号的ちぐはぐさ〉にみずからの歴史的身体をもってどう向き合うか。それが『渡辺のわたし』のひとつのポイントでもあるようにおもうんです。
以上、お手に取る機会がありましたときに、ご覧くだされば嬉しくおもいます。
存在の哲学として心太 柳本々々
(『抒情文芸』2014年秋 入選 坪内稔典 選)
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