【感想】ショーウィンドウのマネキン家族秋高し 山田露結
- 2014/09/18
- 03:00
ショーウィンドウのマネキン家族秋高し 山田露結
【ハイク・ロケット、ことばの空へ】
露結さんの句は、『ホームスウィートホーム』という句集のタイトルのように〈家族〉の句がしばしば詠まれていると思うんですが、なかでも〈家族〉というものに対して〈視線〉をとおして語り手がむきあっている、というのが特徴的なのではないかとおもうんです。
「ショーウィンドウのマネキン家族」というのは、〈擬似家族〉であり、その意味においてみずからがもつ〈家族〉の投影なり反投影としてそれをみるものに心的イメージをかたちづくると思うんですが、下五で語り手が「秋高し」というようにここでは「家族」を突き抜ける超越性へ、秋空の澄み渡った空の高みへと(それこそ、ロケットのように)語り手がつきぬけているのが面白いとおもうんですね。
つまり、ここには、なんだか湿っぽい家族イメージの鏡像的相互交通みたいなのはなくて、むしろ力点は秋空のうえのほうへ、高みのほうへとあると思います。
もっといえば、語り手にとって大事だったのは、「マネキン家族」よりも「ショーウィンドウ」のほうが大事だったのではないかということです。透過的なショーウィンドウを澄明な秋空にみたてて、語り手はパイロットして、みずから俳句によって打ちあげられたのではないかと。
「ショーウィンドウ」というのは「ショー」とついてるように〈みせる〉ための視線をかたちづくる空間なんですが、そうした「ショーウィンドウ」という装置をロケットという装置に変節しているパイロットとしての語り手のありかたがここにはみられるのではないかとおもうんです。
こうした〈擬制〉=ショーウィンドウ/マネキン家族をとおして、重力のない〈高み〉へと飛翔するのがこの句の魅力なのではないかと。
〈みる〉ことを大宙(おおぞら)へ〈とぶ〉ためのエネルギーへ置換すること。
愛撫を許せばまぶしいさくらがみんな見える 裏悪水
【ハイク・ロケット、ことばの空へ】
露結さんの句は、『ホームスウィートホーム』という句集のタイトルのように〈家族〉の句がしばしば詠まれていると思うんですが、なかでも〈家族〉というものに対して〈視線〉をとおして語り手がむきあっている、というのが特徴的なのではないかとおもうんです。
「ショーウィンドウのマネキン家族」というのは、〈擬似家族〉であり、その意味においてみずからがもつ〈家族〉の投影なり反投影としてそれをみるものに心的イメージをかたちづくると思うんですが、下五で語り手が「秋高し」というようにここでは「家族」を突き抜ける超越性へ、秋空の澄み渡った空の高みへと(それこそ、ロケットのように)語り手がつきぬけているのが面白いとおもうんですね。
つまり、ここには、なんだか湿っぽい家族イメージの鏡像的相互交通みたいなのはなくて、むしろ力点は秋空のうえのほうへ、高みのほうへとあると思います。
もっといえば、語り手にとって大事だったのは、「マネキン家族」よりも「ショーウィンドウ」のほうが大事だったのではないかということです。透過的なショーウィンドウを澄明な秋空にみたてて、語り手はパイロットして、みずから俳句によって打ちあげられたのではないかと。
「ショーウィンドウ」というのは「ショー」とついてるように〈みせる〉ための視線をかたちづくる空間なんですが、そうした「ショーウィンドウ」という装置をロケットという装置に変節しているパイロットとしての語り手のありかたがここにはみられるのではないかとおもうんです。
こうした〈擬制〉=ショーウィンドウ/マネキン家族をとおして、重力のない〈高み〉へと飛翔するのがこの句の魅力なのではないかと。
〈みる〉ことを大宙(おおぞら)へ〈とぶ〉ためのエネルギーへ置換すること。
愛撫を許せばまぶしいさくらがみんな見える 裏悪水
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