チョコレートまみれのあとがき。
- 2014/09/18
- 12:58
石畑由紀子さんのブログ『 裏デッサン。 』の「鑑賞『短歌研究新人賞』(2014年・第57回) 佳作」にて拙歌を取り上げていただきました。
ありがとうございました!
ポッキーの持つ部分だけ食べている屈折してる君のやさしさ (柳本々々)
そして指チョコレートまみれ はう。。 (しかも本人は屈折じゃないのかも 水に刺した棒の棒は曲がってないみたいに) お名前はなんと読むのかしら もともとさん? (因に今は『どう どう』と打った)
昔から、ポッキーの持つ部分が気になっていて、お菓子の記号学みたいなのがあれば、まず筆頭にあがってくるのがポッキーなのではないかという思いがあります。
持つ部分/持たない部分という境界をみずから生成しているのがポッキーであり、石畑さんが述べられたようにあえての「指チョコレートまみれ」が〈侵犯〉として生成されるのもポッキーの特徴です。
つまり、ポッキーは、境界性によって、セキュリティ(チョコが手につかない)と、タブー(指チョコまみれ)を同時に生成しているのではないかと。
お菓子の記号学でいえば、お菓子っていうのは、とんがりコーンや動物クッキーがそうなんですが、どうも身体の拡張としてある場合が多いのかなとおもうことがあるんですよね。たとえば、とんがりコーンを指にさして食べる、とか。
で、どこかで身体破壊=自壊と他壊の欲動を刺激し発露させているのが〈お菓子〉なのではないかとおもったりすることもあります。
童話のお菓子の家なんかも、家への破壊衝動の具現化なんじゃないかと思ったりもするんです。
チョコのついた指をなめるのも、どこかカニバルな雰囲気があります。
甘いもの、もしくはスティック状のお菓子はどこかで破壊衝動を喚起しているような気もするのです。
「その棒で、ねぇ、私をメチャクチャにしてよ」クリームソーダが発光してる 石畑由紀子
ありがとうございました!
ポッキーの持つ部分だけ食べている屈折してる君のやさしさ (柳本々々)
そして指チョコレートまみれ はう。。 (しかも本人は屈折じゃないのかも 水に刺した棒の棒は曲がってないみたいに) お名前はなんと読むのかしら もともとさん? (因に今は『どう どう』と打った)
昔から、ポッキーの持つ部分が気になっていて、お菓子の記号学みたいなのがあれば、まず筆頭にあがってくるのがポッキーなのではないかという思いがあります。
持つ部分/持たない部分という境界をみずから生成しているのがポッキーであり、石畑さんが述べられたようにあえての「指チョコレートまみれ」が〈侵犯〉として生成されるのもポッキーの特徴です。
つまり、ポッキーは、境界性によって、セキュリティ(チョコが手につかない)と、タブー(指チョコまみれ)を同時に生成しているのではないかと。
お菓子の記号学でいえば、お菓子っていうのは、とんがりコーンや動物クッキーがそうなんですが、どうも身体の拡張としてある場合が多いのかなとおもうことがあるんですよね。たとえば、とんがりコーンを指にさして食べる、とか。
で、どこかで身体破壊=自壊と他壊の欲動を刺激し発露させているのが〈お菓子〉なのではないかとおもったりすることもあります。
童話のお菓子の家なんかも、家への破壊衝動の具現化なんじゃないかと思ったりもするんです。
チョコのついた指をなめるのも、どこかカニバルな雰囲気があります。
甘いもの、もしくはスティック状のお菓子はどこかで破壊衝動を喚起しているような気もするのです。
「その棒で、ねぇ、私をメチャクチャにしてよ」クリームソーダが発光してる 石畑由紀子
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