【短歌】「ラーメン」と……(「題「ラーメン」佳作・斉藤斎藤 選」『NHK短歌』2014年10月号)
- 2014/09/25
- 21:15
「ラーメン」とはじめて発した宇宙人という設定の昼ドラ終わる 柳本々々
(「題「ラーメン」佳作・斉藤斎藤 選」『NHK短歌』2014年10月号)
メロドラマの重要性は、まさにそのイデオロギー的失敗にある。それ自体の問題を現実の現在においても、理想の未来においても処理しきれず、恥知らずにも矛盾だらけの形で開示することで、メロドラマはハリウッドのほとんどの形式が努めて立ち入りを拒んできた場所を開放するのである。 ノウェル=スミス
【メロメロとは、なにか】
さいきん、映画研究において〈メロドラマ〉とはなんなのか、という研究テーマをよくみかけるんです。
メジャーでテマティックな映画ばかりじゃなくて、今まで論じられなさすぎてきた〈メロドラマ〉を論じるだけの理論が整ってきたということだと思うんですが、メロドラマ研究をみているとそのポイントのひとつに、〈善悪の明確な二項対立〉というのがあるみたいなんです。
これは、昼ドラにもあてはまると思うんですが、善悪が明確に分割されている。
ただ、それが、ハリウッドの〈善悪〉をめぐる映画とちがうのは、どうもメロドラマの善悪は、どのようなイデオロギーにも回収されずに終わる、そうしたイデオロギーの隙をつくような場所でめんめんと紡がれていったのではないか、そこにメロドラマをいまあらためて検討しなおす余地がある、ということのようです。
いま、昼ドラの『昼顔』が有名なんですが、たぶん、昼ドラもポイントは、タブーへの侵犯じゃなくて、明確な善悪の二項対立が、どこのイデオロギーにも回収されないからこそ、ウケるのではないかと思ったりもするのです。〈善〉と〈悪〉を葛藤も、弁証も、統合も、成熟もさせずに、そのままに、描いていく。
もちろん、昼ドラも多岐にわたるし、いちがいにはいえないんですが、基本的には物語を葛藤させたり、弁証させたり、成熟させたりしないところに、メロドラマの快楽と自律性があるのではないかとおもうのです。
「世界と自己との間の二項対立を設定する根本的に素朴な想像力」が存在さえすれば、メロドラマのモードはどこであれ生じる可能性がある。 河野真理江『メロドラマ映画を学ぶ』
(「題「ラーメン」佳作・斉藤斎藤 選」『NHK短歌』2014年10月号)
メロドラマの重要性は、まさにそのイデオロギー的失敗にある。それ自体の問題を現実の現在においても、理想の未来においても処理しきれず、恥知らずにも矛盾だらけの形で開示することで、メロドラマはハリウッドのほとんどの形式が努めて立ち入りを拒んできた場所を開放するのである。 ノウェル=スミス
【メロメロとは、なにか】
さいきん、映画研究において〈メロドラマ〉とはなんなのか、という研究テーマをよくみかけるんです。
メジャーでテマティックな映画ばかりじゃなくて、今まで論じられなさすぎてきた〈メロドラマ〉を論じるだけの理論が整ってきたということだと思うんですが、メロドラマ研究をみているとそのポイントのひとつに、〈善悪の明確な二項対立〉というのがあるみたいなんです。
これは、昼ドラにもあてはまると思うんですが、善悪が明確に分割されている。
ただ、それが、ハリウッドの〈善悪〉をめぐる映画とちがうのは、どうもメロドラマの善悪は、どのようなイデオロギーにも回収されずに終わる、そうしたイデオロギーの隙をつくような場所でめんめんと紡がれていったのではないか、そこにメロドラマをいまあらためて検討しなおす余地がある、ということのようです。
いま、昼ドラの『昼顔』が有名なんですが、たぶん、昼ドラもポイントは、タブーへの侵犯じゃなくて、明確な善悪の二項対立が、どこのイデオロギーにも回収されないからこそ、ウケるのではないかと思ったりもするのです。〈善〉と〈悪〉を葛藤も、弁証も、統合も、成熟もさせずに、そのままに、描いていく。
もちろん、昼ドラも多岐にわたるし、いちがいにはいえないんですが、基本的には物語を葛藤させたり、弁証させたり、成熟させたりしないところに、メロドラマの快楽と自律性があるのではないかとおもうのです。
「世界と自己との間の二項対立を設定する根本的に素朴な想像力」が存在さえすれば、メロドラマのモードはどこであれ生じる可能性がある。 河野真理江『メロドラマ映画を学ぶ』
「メロドラマ」を単なる大衆演劇形式としてではなく、人文学研究における問題領域として切り拓いたのは、ピーター・ブルックスの『メロドラマ的想像力』であるといって間違いないだろう。それまで悲劇の堕落した形式であると考えられてきたメロドラマ観を覆し、「近代」という時代の到来とともに教会と王制に基づいた絶対的な表象のヒエラルキーが崩れた世界のなかで、ブルジョワジーたちが「悲劇」という崇高なヴィジョンに代わる新たな表象形式を市民社会の善悪二元論的な道徳観に求めたものがメロドラマの原型であるとしたブルックスの定義は、メロドラマの本質を市民的道徳観に見出す一方で、この物語形式が「近代」という新たな時代の所産であるということ明らかにした。
御園生涼子『映画と国民国家』
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