【感想】ねこがねこむとねこがごねるねごとねこごとあなたをねとる 阿ト理恵
- 2014/09/26
- 18:35
ねこがねこむとねこがごねるねごとねこごとあなたをねとる 阿ト理恵
ふみんにはひだまりにおうオフトニンさようならきのうときょうとうと
(「第57回短歌研究新人賞佳作」『短歌研究』2014*9)
【自(ねこ)律するねこなのねこのねこ】
阿トさんの短歌におけるひとつの面白さは、語り手が歌ってるうちにその歌っていた/歌われたことばが自律しはじめてしまって、意味の分節をつぎつぎと浸食しはじめていってしまうところにあるんじゃないかとおもうんです。
基本的に短歌は、意味の分節や定型の分節が〈短歌の理性〉のようなものを支えてくれるんですが、この〈短歌の理性〉が失調していくところに阿トさんの短歌の〈猫的身軽さ〉があるのではないか。
具体的に、みてみます。
たとえば、一首目にあげた「ねこ」の短歌は、初めて「ねこ」と語り手が発話した瞬間に、〈ネ・コ〉に近い音節のことばが意味の垣根をこえてずらずらと密輸され、〈ネ・コ〉的なことばのパレードによって、意味や定型の分節が崩されていきます。いわば、ネコ的連想のカーニバル、もしくはカーニャバルな状態がどんどん分節を破裂してゆくわけです。
二首目の、「オフトニン」というおふとんと薬の名前をかけあわせたような言葉もそうで、ここで〈フ・ト〉という音節の〈愉しさ〉に気づいてしまった語り手は、下の句の「うと」をそのまま自律言語として扱いはじめます。「うと」の祝祭空間です。
こうした語り手の理性や短歌がもっている理性、意味の理性、定型がうけおう理性を超えて、ことばが自律し、パレードをなす空間。
これが、阿ト理恵さんの短歌のひとつのダイナミズムになっているのではないかと、おもいます。
そこらへんの野草に告ぐ猫質を解放したらこころへんをやる 阿ト理恵
ふみんにはひだまりにおうオフトニンさようならきのうときょうとうと
(「第57回短歌研究新人賞佳作」『短歌研究』2014*9)
【自(ねこ)律するねこなのねこのねこ】
阿トさんの短歌におけるひとつの面白さは、語り手が歌ってるうちにその歌っていた/歌われたことばが自律しはじめてしまって、意味の分節をつぎつぎと浸食しはじめていってしまうところにあるんじゃないかとおもうんです。
基本的に短歌は、意味の分節や定型の分節が〈短歌の理性〉のようなものを支えてくれるんですが、この〈短歌の理性〉が失調していくところに阿トさんの短歌の〈猫的身軽さ〉があるのではないか。
具体的に、みてみます。
たとえば、一首目にあげた「ねこ」の短歌は、初めて「ねこ」と語り手が発話した瞬間に、〈ネ・コ〉に近い音節のことばが意味の垣根をこえてずらずらと密輸され、〈ネ・コ〉的なことばのパレードによって、意味や定型の分節が崩されていきます。いわば、ネコ的連想のカーニバル、もしくはカーニャバルな状態がどんどん分節を破裂してゆくわけです。
二首目の、「オフトニン」というおふとんと薬の名前をかけあわせたような言葉もそうで、ここで〈フ・ト〉という音節の〈愉しさ〉に気づいてしまった語り手は、下の句の「うと」をそのまま自律言語として扱いはじめます。「うと」の祝祭空間です。
こうした語り手の理性や短歌がもっている理性、意味の理性、定型がうけおう理性を超えて、ことばが自律し、パレードをなす空間。
これが、阿ト理恵さんの短歌のひとつのダイナミズムになっているのではないかと、おもいます。
そこらへんの野草に告ぐ猫質を解放したらこころへんをやる 阿ト理恵
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