【感想】こんばんはこの繁殖は違法ですただちにそれを抜いてください 木下龍也
- 2014/04/30
- 14:25
こんばんはこの繁殖は違法ですただちにそれを抜いてください
「毎日歌壇」『毎日新聞』2014/2/24
木下龍也さんの短歌のひとつのモチーフにオートポイエーシスとしての〈繁殖〉があるようにおもうんです。
オートポイエーシスとはこの場合、「自己生成・自己変換・自己破壊」という勝手にシステム化して、そのシステムを自律的に自己循環しているような、そういう生成=破壊のシステムというような意味です。
そしてこの勝手にはじまっている〈繁殖〉に対して、語り手がどのような〈態度〉を選択するのかが、木下さんの短歌のひとつのおもしろさとしてあらわれてくるようにおもいます。
木下さんには〈繁殖〉に関するうたがもうひとつみられます。
繁殖の許可証もなくあなたがたは増えすぎました減ってください
「ところでだれにばんざいすればいいんでしたっけ」『歌壇』2014/4
ここで注目してみたいのは、「違法」「許可証」といったように法的規範を〈繁殖〉がすでに〈踏み越え〉てしまっているということ、しかし語り手はその〈踏み越え〉に対して、〈取り締ま〉る立場にいるということです。〈取り締ま〉る立場という繁殖を抑制する側/繁殖が抑圧される側という位階をつくりつつも、大事なポイントはおそらく結句に共通している「ください」ではないかとおもうんです。
つまりこういうことです。この短歌の語り手は、〈繁殖〉という身体的・物体的・具体的増殖に対して、〈ことば〉で〈交渉〉しよとしているのだ、と。つまり、そこにこの語り手が短歌という言語形式を採用したアイデンティティを見いだすことも可能かもしれない。「抜きます」「減らします」ではなく、「抜いてください」「減ってください」と主体の交渉を言語をとおして行っていることが重要なのではないかとおもうのです。
たとえば、木下さんの歌集『つむじ風、ここにあります』においても、「佐藤」という名字の人間をめぐるこんな(佐藤さんの)〈繁殖〉の連作をみつけることができます。
全国の佐藤を線で結んだら日本の地図になりませんかね
神様の視点によれば佐藤には単数形は存在しない
一斉に佐藤が蜂起した夏のことをあなたは忘れないでね
頑丈な佐藤の群れを砕くのは高橋鈴木井上田中
ここでは「佐藤」とう名字の〈繁殖〉性をさまざまな位相でうたうことにより、〈佐藤〉そのものがかえって言語化できないかたちで〈繁殖〉していくようすがわかるとおもいます。つまり、ここで行われているのは、単数化=実体化できない、「高橋鈴木井上田中」によって差異化=微分化されるしかない、「複数」としての「佐藤」です。
こんなふうな木下さんの短歌には、〈繁殖〉というモチーフからさまざまな位相をよびこみ、短歌としての言説に盛り込んでいくおもしろさがあるようにおもいます。
それはおそらく語り手の〈繁殖〉としてもいずれ言説化されるのです。すなわち、
電車から僕僕僕が降りるのを僕僕僕が待っている朝
「オートポイエティック・システム」とは、「次のような構成要素の生産のネットワークとしての単位体として定義されるシステムである。(1)構成要素はそれらの相互作用を通じて、構成要素を生産するネットワークを再帰的に発生させ実現する。(2)構成要素は、それらが存在する空間において、ネットワークの実現に参加する構成要素として、このネットワークの境界を構成する。
マツラーナ『オートポイエーシス──生命システムとはなにか』
「毎日歌壇」『毎日新聞』2014/2/24
木下龍也さんの短歌のひとつのモチーフにオートポイエーシスとしての〈繁殖〉があるようにおもうんです。
オートポイエーシスとはこの場合、「自己生成・自己変換・自己破壊」という勝手にシステム化して、そのシステムを自律的に自己循環しているような、そういう生成=破壊のシステムというような意味です。
そしてこの勝手にはじまっている〈繁殖〉に対して、語り手がどのような〈態度〉を選択するのかが、木下さんの短歌のひとつのおもしろさとしてあらわれてくるようにおもいます。
木下さんには〈繁殖〉に関するうたがもうひとつみられます。
繁殖の許可証もなくあなたがたは増えすぎました減ってください
「ところでだれにばんざいすればいいんでしたっけ」『歌壇』2014/4
ここで注目してみたいのは、「違法」「許可証」といったように法的規範を〈繁殖〉がすでに〈踏み越え〉てしまっているということ、しかし語り手はその〈踏み越え〉に対して、〈取り締ま〉る立場にいるということです。〈取り締ま〉る立場という繁殖を抑制する側/繁殖が抑圧される側という位階をつくりつつも、大事なポイントはおそらく結句に共通している「ください」ではないかとおもうんです。
つまりこういうことです。この短歌の語り手は、〈繁殖〉という身体的・物体的・具体的増殖に対して、〈ことば〉で〈交渉〉しよとしているのだ、と。つまり、そこにこの語り手が短歌という言語形式を採用したアイデンティティを見いだすことも可能かもしれない。「抜きます」「減らします」ではなく、「抜いてください」「減ってください」と主体の交渉を言語をとおして行っていることが重要なのではないかとおもうのです。
たとえば、木下さんの歌集『つむじ風、ここにあります』においても、「佐藤」という名字の人間をめぐるこんな(佐藤さんの)〈繁殖〉の連作をみつけることができます。
全国の佐藤を線で結んだら日本の地図になりませんかね
神様の視点によれば佐藤には単数形は存在しない
一斉に佐藤が蜂起した夏のことをあなたは忘れないでね
頑丈な佐藤の群れを砕くのは高橋鈴木井上田中
ここでは「佐藤」とう名字の〈繁殖〉性をさまざまな位相でうたうことにより、〈佐藤〉そのものがかえって言語化できないかたちで〈繁殖〉していくようすがわかるとおもいます。つまり、ここで行われているのは、単数化=実体化できない、「高橋鈴木井上田中」によって差異化=微分化されるしかない、「複数」としての「佐藤」です。
こんなふうな木下さんの短歌には、〈繁殖〉というモチーフからさまざまな位相をよびこみ、短歌としての言説に盛り込んでいくおもしろさがあるようにおもいます。
それはおそらく語り手の〈繁殖〉としてもいずれ言説化されるのです。すなわち、
電車から僕僕僕が降りるのを僕僕僕が待っている朝
「オートポイエティック・システム」とは、「次のような構成要素の生産のネットワークとしての単位体として定義されるシステムである。(1)構成要素はそれらの相互作用を通じて、構成要素を生産するネットワークを再帰的に発生させ実現する。(2)構成要素は、それらが存在する空間において、ネットワークの実現に参加する構成要素として、このネットワークの境界を構成する。
マツラーナ『オートポイエーシス──生命システムとはなにか』
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