【感想】さやうならそしてさよなら葛の花 宮本佳世乃
- 2014/09/29
- 06:10
さやうならそしてさよなら葛の花 宮本佳世乃
【別れ際にする微分積分】
山田露結さんと宮本佳世乃さんのネットプリント「彼方からの手紙 vol.8」(2014/9/28)からの宮本さんの一句です。
たまたまきのう、小池純代さんの「さやうなら煙のやうに日のやうに眠りにおちるやうに消えるよ」という歌は、読み手がこのうたを読み通すことによって〈やう〉のプロになる歌なんだという感想を書いたんですが、この宮本さんの句も〈やう〉の明滅がポイントをもっているようにおもうんです。
ふたつの〈さよなら〉があるわけです。
「さやうなら」と「さよなら」と。
でもそのふたつのさよならは決して並列されているわけではない。
「そして」で順接されたふたつのさよならなわけで、だからこそ、このさよならを段階をふんで、別れるひとにさようならしているわけです。
いっかいめは、〈やう〉を入れたすこし長い、そしてすぐには意味には回収されえない粘りけのある〈さやうなら〉。
にかいめには、音声がそのまま意味として受け止められるような短い〈さよなら〉。
段階をふんでの〈お別れ〉がまずひとつ大事だとおもいます。そして意味に回収されえない〈やう〉を手渡したことも。
もうひとつ大事なのは、「葛の花」です。
「葛の花」も以前、飯島晴子さんの「葛の花来るなと言つたではないか」の句の感想を書いたときにおもったんですが、葛の花っていうのは荒れ地や深い山奥なんかに咲いているために、「どうしてこんなところに花が」という〈場〉の〈異和〉としても受け止められる花です(たとえば葛の花をとおして山奥で出会う新鮮な〈異和〉として釈迢空の歌「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」)。
その〈異和〉が、「さやうなら」と相手と別れなければならない、相手に「来るなと言」わなければならないわたしと相手の〈ズレ〉として機能するのかなとも思ったんです。
でも、そうした山奥や荒れ地で咲くということは別のみかたをすれば、葛の花は、荒れ地にでも、住宅街にでも、生えてくる繁殖力の高い花だということです。
だから、別れても別れてもそれでも浮上してくる〈あなた〉として明滅している季語なのかもしれない、とも思います。あなたの強度。
以上まとめてみると、この句からわたしはふたつのことを感じました。
さようならをプロセスにしてそのさようならのなかで意味に還元できない〈やう〉を別れ際あなたに手渡したというさよならの還元不可能性。
そして、葛の花という季語をもってきたことで、プロセスをふんでさようならしてもそれでもあなたが繁殖してくるかもしれないというあなたの強さを。
この句は、さよならを段階をふんで詠んださよならを微分する句なんですが、そういえば、短歌にもさよならを微分していく有名な歌がありました。
さよならを微分しなければならないということは、おそらくそれだけ強度として積分されていく〈あなた〉との別れがたさがあるのではないかとおもいます。
さようならは、いつも、できるだけ〈彼方(あなた)〉へ向けて発話する、しかしそれによって即座にこの〈わたし〉に強度としてフィードバックされてくるような〈彼方からの手紙〉ではないかと思うのです。たぶん。しかし、それでも、
さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば 枡野浩一
【別れ際にする微分積分】
山田露結さんと宮本佳世乃さんのネットプリント「彼方からの手紙 vol.8」(2014/9/28)からの宮本さんの一句です。
たまたまきのう、小池純代さんの「さやうなら煙のやうに日のやうに眠りにおちるやうに消えるよ」という歌は、読み手がこのうたを読み通すことによって〈やう〉のプロになる歌なんだという感想を書いたんですが、この宮本さんの句も〈やう〉の明滅がポイントをもっているようにおもうんです。
ふたつの〈さよなら〉があるわけです。
「さやうなら」と「さよなら」と。
でもそのふたつのさよならは決して並列されているわけではない。
「そして」で順接されたふたつのさよならなわけで、だからこそ、このさよならを段階をふんで、別れるひとにさようならしているわけです。
いっかいめは、〈やう〉を入れたすこし長い、そしてすぐには意味には回収されえない粘りけのある〈さやうなら〉。
にかいめには、音声がそのまま意味として受け止められるような短い〈さよなら〉。
段階をふんでの〈お別れ〉がまずひとつ大事だとおもいます。そして意味に回収されえない〈やう〉を手渡したことも。
もうひとつ大事なのは、「葛の花」です。
「葛の花」も以前、飯島晴子さんの「葛の花来るなと言つたではないか」の句の感想を書いたときにおもったんですが、葛の花っていうのは荒れ地や深い山奥なんかに咲いているために、「どうしてこんなところに花が」という〈場〉の〈異和〉としても受け止められる花です(たとえば葛の花をとおして山奥で出会う新鮮な〈異和〉として釈迢空の歌「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」)。
その〈異和〉が、「さやうなら」と相手と別れなければならない、相手に「来るなと言」わなければならないわたしと相手の〈ズレ〉として機能するのかなとも思ったんです。
でも、そうした山奥や荒れ地で咲くということは別のみかたをすれば、葛の花は、荒れ地にでも、住宅街にでも、生えてくる繁殖力の高い花だということです。
だから、別れても別れてもそれでも浮上してくる〈あなた〉として明滅している季語なのかもしれない、とも思います。あなたの強度。
以上まとめてみると、この句からわたしはふたつのことを感じました。
さようならをプロセスにしてそのさようならのなかで意味に還元できない〈やう〉を別れ際あなたに手渡したというさよならの還元不可能性。
そして、葛の花という季語をもってきたことで、プロセスをふんでさようならしてもそれでもあなたが繁殖してくるかもしれないというあなたの強さを。
この句は、さよならを段階をふんで詠んださよならを微分する句なんですが、そういえば、短歌にもさよならを微分していく有名な歌がありました。
さよならを微分しなければならないということは、おそらくそれだけ強度として積分されていく〈あなた〉との別れがたさがあるのではないかとおもいます。
さようならは、いつも、できるだけ〈彼方(あなた)〉へ向けて発話する、しかしそれによって即座にこの〈わたし〉に強度としてフィードバックされてくるような〈彼方からの手紙〉ではないかと思うのです。たぶん。しかし、それでも、
さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば 枡野浩一
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