【感想】小坂井大輔「小林」『かばん』2014年5月号
- 2014/09/29
- 18:44
映画とか好きな人とか居ませんか?小林らしいと僕は思った 小坂井大輔
とりあえずお前がいないアパートの階段に座る座った座ったよ 同
【小林が小林を超える】
『かばん』2014年5月号から、小坂井さんの「小林」という連作です。
連作の最初と最後の歌をあげてみました。
「小林」をめぐって、さまざまなパースペクティブから「小林」をとらえていきます。
読み手は「小林」に関する情報と経験値を重ねつつも、最終的に語り手といっしょに「小林」を喪失してしまう。
それがこの連作「小林」の流れになっていると思います。
最初の歌では、「小林らしいと僕は思った」と下の句で語られているので、「小林」と「僕」は性格を推測できるくらいには仲がいいことがわかります。ここでは読み手は「小林」と「僕」の仲からは疎外されています。
ところが劇的に転換するのが、その次のうたです。
4万の売上金と引き換えにガムテープ巻かれ座る小林 小坂井大輔
これはもうすでに小林の性質や性格や内面をうたう歌ではありません。
強盗に押し入れられ、ガムテープをぐるぐる巻きにされるとき、大事なことは、そのひとの性質・性情・内面とはまったくの無関係になるということです。
小林がそのときレジにいてそれを管理していたという、これは偶有的な問題です。だからここでは小林が小林でなくてもいいのですが、しかし小林がそこに立っていたという理由でグルグル巻きになってしまった。そうした偶然の小林に語り手の眼が向いたのです。
ここで読み手は〈小林〉という場に参入していきます。
なぜなら、ガムテープに巻かれて座る小林は、小林と関係があった「僕」でもよかったわけだし、わたしたち読み手でもいいわけです。
関係のなかった小林は、関係のありえたかもしれな小林へ。
こんなふうに小林が位相を連作の時間とともに移動しながら、わたしたち読み手と距離をとっていく。
それがこの連作のおもしろさだとおもいます。
言ったよね?ジョニーデップの口ヒゲは小林の良さを半減させる 小坂井大輔
後ろから煽られている小林の自然な笑顔うなるクラクション 同
忠告しても無視する制御不可能な小林。
後ろからあおられて自然な笑顔をみせる未知な小林。
そして最後に語り手が「お前」と小林を呼べる仲になったときに、小林は消えてしまいます。
連作が終わると同時に小林は消えるということ。
つまり、小林は徹底して短歌的存在であること、その連作のプロセスのなかでだけ生命を息づかせることができるのだということを貫いています。
連作のなかの一首をとれば、小林はどうやら小林自身にさえ、コントロールできなかったのかもしれません。
短歌という表現形式のなかで、小林は、小林を凌駕するのです。すなわち、
目の中の光の量の調節をできなかったのだろう小林 小坂井大輔
とりあえずお前がいないアパートの階段に座る座った座ったよ 同
【小林が小林を超える】
『かばん』2014年5月号から、小坂井さんの「小林」という連作です。
連作の最初と最後の歌をあげてみました。
「小林」をめぐって、さまざまなパースペクティブから「小林」をとらえていきます。
読み手は「小林」に関する情報と経験値を重ねつつも、最終的に語り手といっしょに「小林」を喪失してしまう。
それがこの連作「小林」の流れになっていると思います。
最初の歌では、「小林らしいと僕は思った」と下の句で語られているので、「小林」と「僕」は性格を推測できるくらいには仲がいいことがわかります。ここでは読み手は「小林」と「僕」の仲からは疎外されています。
ところが劇的に転換するのが、その次のうたです。
4万の売上金と引き換えにガムテープ巻かれ座る小林 小坂井大輔
これはもうすでに小林の性質や性格や内面をうたう歌ではありません。
強盗に押し入れられ、ガムテープをぐるぐる巻きにされるとき、大事なことは、そのひとの性質・性情・内面とはまったくの無関係になるということです。
小林がそのときレジにいてそれを管理していたという、これは偶有的な問題です。だからここでは小林が小林でなくてもいいのですが、しかし小林がそこに立っていたという理由でグルグル巻きになってしまった。そうした偶然の小林に語り手の眼が向いたのです。
ここで読み手は〈小林〉という場に参入していきます。
なぜなら、ガムテープに巻かれて座る小林は、小林と関係があった「僕」でもよかったわけだし、わたしたち読み手でもいいわけです。
関係のなかった小林は、関係のありえたかもしれな小林へ。
こんなふうに小林が位相を連作の時間とともに移動しながら、わたしたち読み手と距離をとっていく。
それがこの連作のおもしろさだとおもいます。
言ったよね?ジョニーデップの口ヒゲは小林の良さを半減させる 小坂井大輔
後ろから煽られている小林の自然な笑顔うなるクラクション 同
忠告しても無視する制御不可能な小林。
後ろからあおられて自然な笑顔をみせる未知な小林。
そして最後に語り手が「お前」と小林を呼べる仲になったときに、小林は消えてしまいます。
連作が終わると同時に小林は消えるということ。
つまり、小林は徹底して短歌的存在であること、その連作のプロセスのなかでだけ生命を息づかせることができるのだということを貫いています。
連作のなかの一首をとれば、小林はどうやら小林自身にさえ、コントロールできなかったのかもしれません。
短歌という表現形式のなかで、小林は、小林を凌駕するのです。すなわち、
目の中の光の量の調節をできなかったのだろう小林 小坂井大輔
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