【感想】きみが生まれた町の隣の駅の不動産屋の看板の裏に愛のしるしを書いておいた。見てくれ フラワーしげる
- 2014/09/30
- 06:22
きみが生まれた町の隣の駅の不動産屋の看板の裏に愛のしるしを書いておいた。見てくれ フラワーしげる
【愛のしるしはシンプルに】
フラワーさんのこの短歌、以前から不思議だなあとおもっていて、ずっと考えていたんです。
で、ひとつ思ったのは、語り手の愛への情熱が空転しているところがこの短歌のおもしろさではないかとおもったのです。
「どこそこに愛のしるしを書いておいた。見てくれ」
と語り手はいうんですが、いわれたほうも、読み手も、
「いや覚えられないよこれ」
と思ってしまうその点に。
ここでは明らかに愛のエントロピーの増大によってかえって愛の非伝達性が浮かび上がり、空転してしまっている様相が浮かび上がっています。
なぜ、そんなことになってしまうんでしょう?
フラワーさんの短歌といえば、定型からの大胆な破調です。
定型がぶっ壊れたかたちで読み手に提示されるということは、かんたんにいえば、〈覚えられない〉ということです。
愛のしるしを書いた場所をすごく大事な場所のはずです。
実際、語り手は「見てくれ」と〈短歌形式〉でそれを伝えたのだから、〈定型〉におさめて、受け手に記憶させるべきです。
ところが語り手は短歌という形式をつかいながらも、定型をもちいません。
〈見てくれ〉といいながら、語り手は、〈見ないといいな〉と思っているようなのです。
そうかんがえると、定型というのは語り手にとってのひとつの〈意思表示〉のありかた、〈意志/決断〉であるということがわかってきます。
定型にもりこまれたことばに語り手の心情はでるのではなく、定型に対する態度に語り手の心情は浮かび上がってくるのです。
ですから、短歌は短歌としてわたしやあなたにつねにこんなふうによびかけている。
定型自体に愛は刻印されている。
見てくれ。
柑橘の薄い皮の上に妖精がすわりいやぼくはもういちおう少年ではないのです フラワーしげる
【愛のしるしはシンプルに】
フラワーさんのこの短歌、以前から不思議だなあとおもっていて、ずっと考えていたんです。
で、ひとつ思ったのは、語り手の愛への情熱が空転しているところがこの短歌のおもしろさではないかとおもったのです。
「どこそこに愛のしるしを書いておいた。見てくれ」
と語り手はいうんですが、いわれたほうも、読み手も、
「いや覚えられないよこれ」
と思ってしまうその点に。
ここでは明らかに愛のエントロピーの増大によってかえって愛の非伝達性が浮かび上がり、空転してしまっている様相が浮かび上がっています。
なぜ、そんなことになってしまうんでしょう?
フラワーさんの短歌といえば、定型からの大胆な破調です。
定型がぶっ壊れたかたちで読み手に提示されるということは、かんたんにいえば、〈覚えられない〉ということです。
愛のしるしを書いた場所をすごく大事な場所のはずです。
実際、語り手は「見てくれ」と〈短歌形式〉でそれを伝えたのだから、〈定型〉におさめて、受け手に記憶させるべきです。
ところが語り手は短歌という形式をつかいながらも、定型をもちいません。
〈見てくれ〉といいながら、語り手は、〈見ないといいな〉と思っているようなのです。
そうかんがえると、定型というのは語り手にとってのひとつの〈意思表示〉のありかた、〈意志/決断〉であるということがわかってきます。
定型にもりこまれたことばに語り手の心情はでるのではなく、定型に対する態度に語り手の心情は浮かび上がってくるのです。
ですから、短歌は短歌としてわたしやあなたにつねにこんなふうによびかけている。
定型自体に愛は刻印されている。
見てくれ。
柑橘の薄い皮の上に妖精がすわりいやぼくはもういちおう少年ではないのです フラワーしげる
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