【感想】一度もまだ使いしことなき耳掻きの白きほよほよ 海外派兵 佐佐木幸綱
- 2014/09/30
- 07:40
一度もまだ使いしことなき耳掻きの白きほよほよ 海外派兵 佐佐木幸綱
【ほよほよと銃】
幸綱さんのこの歌は、結句の「海外派兵」が強く歌の様相を決定づけているとおもうんです。
海外派兵というのは、いいかえれば、海外でひとを殺すことがありうる可能性であり、ふだん銃を使うことが習性化されていないナショナリティを越えて銃を使わなければいけない局面にたちあうかもしれない潜在性を示しています。
耳掻きの白きほよほよは誰もが知ってはいます。眼にしてもいるし、さわったりもする。どこか魅力的でもあるし、擬態として「ほよほよ」と言語化することもできる。
でも「一度もまだ使いしことなき」ものとして〈ほよほよ〉は表れている。
その「ほよほよ」と並列されて「海外派兵」が並んでいる。
耳掻きも使い方をあやまれば〈凶器〉になりますが、しかし見た目のレベルでは、「ほよほよ」です。
そうしたいったい〈どこ〉からリスキーで〈どこ〉までがリミットなのかがわからない事態が「耳掻き」にも「海外派兵」にもあるのではないかと思うんですよね。
そうしたふだんの〈習性〉としての身体レベルで、しかし〈耳〉というわたしたちが使い慣れていないレベルの身体部分に〈海外派兵〉という〈事態〉をひきずりおろしてくる。
それがこの歌の身体的批評性になっているのではないかと思います。
幸綱さんは、パフェさえも食べない〈男〉の主体を自称しているんですが、ただ「ほよほよ」というジェンダーに縛られないことばを導入することで、〈男〉の主体に間隙ができる。〈男〉だけでは統御しきれない主体が短歌によってしのびこんでくる。それが幸綱さんの短歌のしたたかさなんじゃないかなと思います。
たぶんもう長くは生きまい ぶわーんぬーっと深海ゆ来し不思議見て居り 佐佐木幸綱
【ほよほよと銃】
幸綱さんのこの歌は、結句の「海外派兵」が強く歌の様相を決定づけているとおもうんです。
海外派兵というのは、いいかえれば、海外でひとを殺すことがありうる可能性であり、ふだん銃を使うことが習性化されていないナショナリティを越えて銃を使わなければいけない局面にたちあうかもしれない潜在性を示しています。
耳掻きの白きほよほよは誰もが知ってはいます。眼にしてもいるし、さわったりもする。どこか魅力的でもあるし、擬態として「ほよほよ」と言語化することもできる。
でも「一度もまだ使いしことなき」ものとして〈ほよほよ〉は表れている。
その「ほよほよ」と並列されて「海外派兵」が並んでいる。
耳掻きも使い方をあやまれば〈凶器〉になりますが、しかし見た目のレベルでは、「ほよほよ」です。
そうしたいったい〈どこ〉からリスキーで〈どこ〉までがリミットなのかがわからない事態が「耳掻き」にも「海外派兵」にもあるのではないかと思うんですよね。
そうしたふだんの〈習性〉としての身体レベルで、しかし〈耳〉というわたしたちが使い慣れていないレベルの身体部分に〈海外派兵〉という〈事態〉をひきずりおろしてくる。
それがこの歌の身体的批評性になっているのではないかと思います。
幸綱さんは、パフェさえも食べない〈男〉の主体を自称しているんですが、ただ「ほよほよ」というジェンダーに縛られないことばを導入することで、〈男〉の主体に間隙ができる。〈男〉だけでは統御しきれない主体が短歌によってしのびこんでくる。それが幸綱さんの短歌のしたたかさなんじゃないかなと思います。
たぶんもう長くは生きまい ぶわーんぬーっと深海ゆ来し不思議見て居り 佐佐木幸綱
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