【感想】竹井紫乙『句集 ひよこ』-他者ではなく、異者と暮らして-
- 2014/05/04
- 00:00
恋人は死んでほしいと期待する
竹井さんの川柳のおもしろさは、発話や行為によってそれまで親密な圏域にいたはずの他者(対話しあう、対話可能性のある相手)が、得体の知れぬ異者(何を言うか・するかわからない、自分とは異なる相手)になってしまうところだとおもうんです。
たとえば、このうえの句は、恋人が「死んでほしい」とわたしに期待しているのかもしれないし、わたしが恋人に「死んでほしい」と期待しているのかもしれない。
そのどちらかはわからないけれども、そのどちらもがありうることによってわかることは、恋人関係にあるものがあいてに対して「死んでほしい」と期待しているということです。
恋人という親密な圏域にいたはずの人間が、つぎの瞬間、「死んでほしい」と期待することによって生/死の異相を相手に持ち込んでくる異者になっています。
たとえばつぎのような句。
お店から盗って来た本くれる彼
この句でわたしが大事だとおもうのは、語り手が句のすべての語りを、「(お店から盗って来た本くれる)彼」と、「彼」の「修飾」に費やしていることです。
つまりその修飾そのものが句として成立するくらいに、「お店から盗って来た本くれる」ということがこの語り手にとっては比重のおおきい出来事だったとおもうのです。またその出来事性が「お店から盗って来た」とわたしへの想いが必然的に第三者関係を巻き込み損なわれるかたちで行われてる点も大事なのではないかとおもいます。つまりやはり「彼」は異者として異なる位相をひきずってやってきているのです。
爪切ろう何をするかも知れないし
ここでは語り手自身が異者になっているとみることができるのではないかとおもいます。「何をするか」わからない「わたし」を「爪」を「切」ることによって抑圧する行為には言語的交渉という対話はありません。むしろ、ここでは「爪」というみずからの身体を傷つけることによって、あえて「異」なる局面をわたしがわたし自身に盛り込んでいくことで、「何をするかも知れない」わたしを回避しているようにおもいます。
こんなふうに、竹井紫乙さんの川柳は、親密圏ではとらえきれない親密圏のあいてのぶきみさをえぐりだすことにそのダイナミズムがあるようにおもいます。「なめらか」さに「ガタガタ」をみいだし、うたうということ。すなわち、
なめらかな道でガタガタ鳴る私
竹井さんの川柳のおもしろさは、発話や行為によってそれまで親密な圏域にいたはずの他者(対話しあう、対話可能性のある相手)が、得体の知れぬ異者(何を言うか・するかわからない、自分とは異なる相手)になってしまうところだとおもうんです。
たとえば、このうえの句は、恋人が「死んでほしい」とわたしに期待しているのかもしれないし、わたしが恋人に「死んでほしい」と期待しているのかもしれない。
そのどちらかはわからないけれども、そのどちらもがありうることによってわかることは、恋人関係にあるものがあいてに対して「死んでほしい」と期待しているということです。
恋人という親密な圏域にいたはずの人間が、つぎの瞬間、「死んでほしい」と期待することによって生/死の異相を相手に持ち込んでくる異者になっています。
たとえばつぎのような句。
お店から盗って来た本くれる彼
この句でわたしが大事だとおもうのは、語り手が句のすべての語りを、「(お店から盗って来た本くれる)彼」と、「彼」の「修飾」に費やしていることです。
つまりその修飾そのものが句として成立するくらいに、「お店から盗って来た本くれる」ということがこの語り手にとっては比重のおおきい出来事だったとおもうのです。またその出来事性が「お店から盗って来た」とわたしへの想いが必然的に第三者関係を巻き込み損なわれるかたちで行われてる点も大事なのではないかとおもいます。つまりやはり「彼」は異者として異なる位相をひきずってやってきているのです。
爪切ろう何をするかも知れないし
ここでは語り手自身が異者になっているとみることができるのではないかとおもいます。「何をするか」わからない「わたし」を「爪」を「切」ることによって抑圧する行為には言語的交渉という対話はありません。むしろ、ここでは「爪」というみずからの身体を傷つけることによって、あえて「異」なる局面をわたしがわたし自身に盛り込んでいくことで、「何をするかも知れない」わたしを回避しているようにおもいます。
こんなふうに、竹井紫乙さんの川柳は、親密圏ではとらえきれない親密圏のあいてのぶきみさをえぐりだすことにそのダイナミズムがあるようにおもいます。「なめらか」さに「ガタガタ」をみいだし、うたうということ。すなわち、
なめらかな道でガタガタ鳴る私
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