【感想】ペガサスは私にきっと優しくてあなたのことは殺してくれる 冬野きりん
- 2014/10/06
- 18:00
ペガサスは私にきっと優しくてあなたのことは殺してくれる 冬野きりん
【理性的な殺意】
この短歌のことをときどきかんがえているんですが、この短歌のひとつの衝撃力は、〈殺意〉をきちんと定型におさめたということなんじゃないかとおもうんです。
私は定型というのは、どこかで〈短歌の理性〉だとおもっているところがあって、だからもし定型を逸脱するような短歌の場合は、語り手自身がどこかで不安定で、じぶんじしんのことばを信じられないことの表れなんじゃないかともおもうんですが、この冬野さんの短歌の語り手の場合、〈たしか〉なかたちで「あなた」への殺意を定型化しているわけです。
ただこの短歌がこわいのは、わたし〈の〉殺意を、ペガサスを迂回することによってわたし〈と〉殺意にしていることです。
殺意があるのは語り手「私」です。しかしそれを実行するのは、ペガサスです。しかも「きっと」と語り手が語っているように語り手とペガサスには距離があります。「きっと」そうしてくれるんだとはおもうんだけれども、もしかしたら〈そう〉してくれないかもしれない内実の不安定感があります。
ところが語り手は、たぶん、ペガサスは私にやさしくしてくれるしあなたのことを殺してくれることを確信しています。
それは語り手が短歌理性としての定型を遵守しているからです。
そこがこの短歌の理性的殺意としてのおもしろさなんじゃないかとおもいます。
ペガサスのことはいまいち信じきれてはいない語り手が、短歌のことは、短歌定型としての理性は確信している点が。
だからたとえばおなじ冬野さんの「呪い」の歌で、いまいち「呪い」をさずかる語り手が不安定の場合はつぎのように定型に呪いがかかったように逸脱した詠み方になるのではないかとおもうのです。
魔法が使えたら真っ先にあの子を幸せにという呪いを貰う 冬野きりん
【理性的な殺意】
この短歌のことをときどきかんがえているんですが、この短歌のひとつの衝撃力は、〈殺意〉をきちんと定型におさめたということなんじゃないかとおもうんです。
私は定型というのは、どこかで〈短歌の理性〉だとおもっているところがあって、だからもし定型を逸脱するような短歌の場合は、語り手自身がどこかで不安定で、じぶんじしんのことばを信じられないことの表れなんじゃないかともおもうんですが、この冬野さんの短歌の語り手の場合、〈たしか〉なかたちで「あなた」への殺意を定型化しているわけです。
ただこの短歌がこわいのは、わたし〈の〉殺意を、ペガサスを迂回することによってわたし〈と〉殺意にしていることです。
殺意があるのは語り手「私」です。しかしそれを実行するのは、ペガサスです。しかも「きっと」と語り手が語っているように語り手とペガサスには距離があります。「きっと」そうしてくれるんだとはおもうんだけれども、もしかしたら〈そう〉してくれないかもしれない内実の不安定感があります。
ところが語り手は、たぶん、ペガサスは私にやさしくしてくれるしあなたのことを殺してくれることを確信しています。
それは語り手が短歌理性としての定型を遵守しているからです。
そこがこの短歌の理性的殺意としてのおもしろさなんじゃないかとおもいます。
ペガサスのことはいまいち信じきれてはいない語り手が、短歌のことは、短歌定型としての理性は確信している点が。
だからたとえばおなじ冬野さんの「呪い」の歌で、いまいち「呪い」をさずかる語り手が不安定の場合はつぎのように定型に呪いがかかったように逸脱した詠み方になるのではないかとおもうのです。
魔法が使えたら真っ先にあの子を幸せにという呪いを貰う 冬野きりん
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