【感想】大好きな隙間に誰か立っている 久保田紺
- 2014/10/07
- 12:54
大好きな隙間に誰か立っている 久保田紺
【ダイスキ・スタディーズ】
まずこの句がおもしろいのは、大好きなのが「隙間」だってことです。
「隙間」っていうのは、〈隙=間〉なので、誰かが意図をもってつくった場所というよりは、たまたまそこにできてしまった場所だとおもいます。
大好きなんだったらもうそこは〈場所〉といってもいいはずなのに、語り手は〈隙間〉といっている。
「隙間」としか語り手がいえないのは、たぶん、いまだ語り手がその場所を大好きであるにもかかわらず〈私有化〉することができていないからなんじゃないかとおもうんです。
語り手は、「隙間」を「隙間」のままに、〈聖域化〉していた。「とっておきの場所」じゃなくて、じぶんでも踏み込めない聖域(サンクチュアリ)だった。
ところが、そこに「誰か立ってい」た。
語り手はこのとき選択を迫られるはずです。
どうする、のか。
これがこの句の緊張感だとおもいます。
「誰か立っ」たことで、語り手の「大好き」と「隙間」がほんとうはなんだったのかが問われはじめています。
それだけ大好きだったなら語り手自身がそこに立つべきだったのではないか、そもそもほんとうにそこは隙間と呼べるような領域だったのか、「誰か」という不特定の三人称がすぐに踏み込める領域に語り手はなぜ〈立〉てなかったのか。
これはこうした〈大好き〉をめぐる緊張感をはらんだ句なのではないかとおもいます。
ちなみに、みずからが幽霊化してみることもひとつの〈隙間〉の見つけ方かもしれません。
いきているでもない、しにきっているわけでもない、ただよう隙間のなかで〈ふたたび〉また誰かにであうこと。
幽霊になったらばったりと出会う 久保田紺
【ダイスキ・スタディーズ】
まずこの句がおもしろいのは、大好きなのが「隙間」だってことです。
「隙間」っていうのは、〈隙=間〉なので、誰かが意図をもってつくった場所というよりは、たまたまそこにできてしまった場所だとおもいます。
大好きなんだったらもうそこは〈場所〉といってもいいはずなのに、語り手は〈隙間〉といっている。
「隙間」としか語り手がいえないのは、たぶん、いまだ語り手がその場所を大好きであるにもかかわらず〈私有化〉することができていないからなんじゃないかとおもうんです。
語り手は、「隙間」を「隙間」のままに、〈聖域化〉していた。「とっておきの場所」じゃなくて、じぶんでも踏み込めない聖域(サンクチュアリ)だった。
ところが、そこに「誰か立ってい」た。
語り手はこのとき選択を迫られるはずです。
どうする、のか。
これがこの句の緊張感だとおもいます。
「誰か立っ」たことで、語り手の「大好き」と「隙間」がほんとうはなんだったのかが問われはじめています。
それだけ大好きだったなら語り手自身がそこに立つべきだったのではないか、そもそもほんとうにそこは隙間と呼べるような領域だったのか、「誰か」という不特定の三人称がすぐに踏み込める領域に語り手はなぜ〈立〉てなかったのか。
これはこうした〈大好き〉をめぐる緊張感をはらんだ句なのではないかとおもいます。
ちなみに、みずからが幽霊化してみることもひとつの〈隙間〉の見つけ方かもしれません。
いきているでもない、しにきっているわけでもない、ただよう隙間のなかで〈ふたたび〉また誰かにであうこと。
幽霊になったらばったりと出会う 久保田紺
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