【感想】背もたれの無い椅子といる 笑い合う 熊谷冬鼓
- 2014/10/09
- 12:00
背もたれの無い椅子といる 笑い合う 熊谷冬鼓
【椅子の記号学】
『月刊川柳ねぶた 777号記念誌上大会発表号』からの一句です。
定型のなかで語り手の意識がどこにどう向かっているのかということって興味深いことだなあとときどき考えているんですが、この熊谷さんの句においては語り手は、「笑い合う」前に「背もたれの無い椅子」に意識を向けています。
「背もたれのある椅子」と「背もたれの無い椅子」の違いを語り手は意識しているから「背もたれ」ということばが出てきていると思うんですが、背もたれが椅子にあるということは椅子がコード化されているということ、こんなふうに座ってね、と椅子自身が発話しているということです。
けれども、背もたれのない椅子さ各人各様にじぶんの座り方のコードを決めて、自分のやりかたで座らなければならない。
こうしたコード(枠組み)の不安定さをもたらすのが「背もたれのない椅子」だと思うんです。
では「笑い合う」は、どうか。
笑いの基本は、〈意外性〉と〈妥当性〉の融合だといわれたりしますが、「笑い合う」ということは、一瞬意味のコードがズレて〈意外性〉を経由したあとに、しかしその〈意外性〉が〈妥当〉だったために、笑いが生じ、さらにその生じた笑いが〈共有〉しあえたから「笑い合う」ことができたということだとおもうんです。
コードの不安定さが一字アキの跳躍をへて、コードの共有へと移行する。
この句にはそんな枠組みの跳躍がおもしろさとしてあらわれているようにおもいます。
この「川柳ねぶた 777号記念誌上大会 題『喜』」なのですが、わたしも選者の木本朱夏さんから佳作で選んでいただきました。ありがとうございました!
喜んで桜が話す死後のこと 柳本々々
継ぎはぎの言葉で死者を暖める 木本朱夏
【椅子の記号学】
『月刊川柳ねぶた 777号記念誌上大会発表号』からの一句です。
定型のなかで語り手の意識がどこにどう向かっているのかということって興味深いことだなあとときどき考えているんですが、この熊谷さんの句においては語り手は、「笑い合う」前に「背もたれの無い椅子」に意識を向けています。
「背もたれのある椅子」と「背もたれの無い椅子」の違いを語り手は意識しているから「背もたれ」ということばが出てきていると思うんですが、背もたれが椅子にあるということは椅子がコード化されているということ、こんなふうに座ってね、と椅子自身が発話しているということです。
けれども、背もたれのない椅子さ各人各様にじぶんの座り方のコードを決めて、自分のやりかたで座らなければならない。
こうしたコード(枠組み)の不安定さをもたらすのが「背もたれのない椅子」だと思うんです。
では「笑い合う」は、どうか。
笑いの基本は、〈意外性〉と〈妥当性〉の融合だといわれたりしますが、「笑い合う」ということは、一瞬意味のコードがズレて〈意外性〉を経由したあとに、しかしその〈意外性〉が〈妥当〉だったために、笑いが生じ、さらにその生じた笑いが〈共有〉しあえたから「笑い合う」ことができたということだとおもうんです。
コードの不安定さが一字アキの跳躍をへて、コードの共有へと移行する。
この句にはそんな枠組みの跳躍がおもしろさとしてあらわれているようにおもいます。
この「川柳ねぶた 777号記念誌上大会 題『喜』」なのですが、わたしも選者の木本朱夏さんから佳作で選んでいただきました。ありがとうございました!
喜んで桜が話す死後のこと 柳本々々
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