【短歌】漱石の…(毎日新聞・毎日歌壇2014年5月5日 加藤治郎 選)
- 2014/05/05
- 15:24
漱石の『こゝろ』を貸したきみからの文字化けしてる手紙がとどレ广Y&ゥン 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2014年5月5日 加藤治郎 選)
【自(分で)解(いてみる)-夏目縺ェ縺ゥ縺ァ豁 -】
『こゝろ』の構造と文字化けの構造はじつは非常に似通ったものをもっているんではないかとおもうんです。
しかもその構造が『こゝろ』も文字化けも遺書やメールのように他者によって媒介されているまさにそのことによって起きているということが大事なのではないかと。
80年代に研究者の小森陽一さんや石原千秋さんによって夏目漱石『こゝろ』のそれまでとはまったく異なる読み直しが測られる〈こゝろ論争〉という漱石研究史に残るおおきな出来事があったんですが、小森陽一さんや石原千秋さんがどのように『こゝろ』を読み変えたかをわたしなりいんことばにしてみると、それは『こゝろ』の語り手への注目だったとおもうんですね。
『こゝろ』を語っている語り手がなにを語ろうとし、どう語ろうとし、なにを語らないでおき、なににこころを注いで語ったか。
そういった語り手が行っている語りのダイナミズムによって「先生の遺書」を相対化しようとしたのが、小森陽一さんや石原千秋さんが起こした漱石研究へのダイナマイトだったんだとおもうんです。たとえば、「私」は実は「先生」を慕いつつも、一方で「批評的」にとらえているのではないかといった具合に。
『こゝろ』っていう小説=テクストは、そんなふうにそれまでの読みとは一転してしまうくらいの〈よくわからなさ〉を秘めた小説だとおもうんです。
つまり、「先生」は「私」に「遺書」を託したんですが、でも実は「遺書」が「私」にきちんと伝達されているのかどうかはあやしい。そうしてそれらを統括してる「私」の語りが、それを『こゝろ』として享受するわれわれ読者にもちゃんと届いているのかよくわからない。けれども、わからないということは、おそらくずっと意味の変換が、読みのモードの揺り起こしが行われつづけていくということだともおもうんです。
こういってよければ、『こゝろ』を読むということは、じぶんがいまどの位置から・誰として・どんなふうに・誰にむかって読むのかといったわたしの〈こころ〉を読む作業にもなるとおもうんです。
大事なことは、『こゝろ』は饒舌に語る〈死者〉が多すぎて、饒舌に語りつつも、死んでいるので語ることの抑圧にあっていることです。だから、どんなふうに「私」や「読者」が読もうとも、死者のことばはそれ以上、「私」や「読者」に対して批評してくるわけではない。「遺書」とはその場に凍ったことばだから。
だからその「遺書」を並べ替え、配置し、語りをつけくわえる「私」のように、死者のことばを生者が生者のことばで読解していくのが『こゝろ』の基本構造のようにおもうんです。
つまりどこまでも意味が固定化できないひとの「こころ」を読み込もうとしながら、みずからの「こころ」のありようを逆照射されるようなかたちでさらけださなければならないというのが、『こゝろ』というテクストのありようのようにもおもうんです。
それはうえの歌のように、あたかも文字化けしてる伝達不可能性を帯びた手紙の解読を〈夏目漱石〉というクレジットを信じて入念に微分していく読み手のようにもおもうのです。
僕の問題意識として強かったのは、僕らの時代は結構死んじゃう友人とかが、わりと時代風潮的に多くて、遺書手渡されて、ということも現にあったわけです。
そういう場合それをどのように抱えていけるのかっていう問題が残される。たとえば葬式の時に親に渡すのかどうかとかね、そういう具体的な問題とかがあった。その時にある選択をした場合、死者のことを美化してもなんにもならないわけですよね。
それから、たとえばテクストとしての遺書を持ち続けてるとすれば、常に脅かされつづける。つまり、もらった俺が殺したんじゃないかみたいなね、そういうことが常にあったわけです。しかし、「私」という青年にはそういう問いかけがないっていうことを感じたわけです。だからあの論文を書き終わった瞬間に反措定がでてしまったわけです。これはどうしたらいいのか、ということがあったわけです。
実は『こゝろ』のテクストというのはそれを読者の側につきつけてくるところがある。あるスタンスを選んでそれを批評した場合に、『こゝろ』だけではなくて、漱石的な言説っていうのは全てそうなんじゃないかっていう気が僕はしてならないわけです。そういう言説は一体どのように可能になるのかということを、この間考え続けてきたということがあるわけです。
小森陽一『総力討論 漱石の『こゝろ』』
(毎日新聞・毎日歌壇2014年5月5日 加藤治郎 選)
【自(分で)解(いてみる)-夏目縺ェ縺ゥ縺ァ豁 -】
『こゝろ』の構造と文字化けの構造はじつは非常に似通ったものをもっているんではないかとおもうんです。
しかもその構造が『こゝろ』も文字化けも遺書やメールのように他者によって媒介されているまさにそのことによって起きているということが大事なのではないかと。
80年代に研究者の小森陽一さんや石原千秋さんによって夏目漱石『こゝろ』のそれまでとはまったく異なる読み直しが測られる〈こゝろ論争〉という漱石研究史に残るおおきな出来事があったんですが、小森陽一さんや石原千秋さんがどのように『こゝろ』を読み変えたかをわたしなりいんことばにしてみると、それは『こゝろ』の語り手への注目だったとおもうんですね。
『こゝろ』を語っている語り手がなにを語ろうとし、どう語ろうとし、なにを語らないでおき、なににこころを注いで語ったか。
そういった語り手が行っている語りのダイナミズムによって「先生の遺書」を相対化しようとしたのが、小森陽一さんや石原千秋さんが起こした漱石研究へのダイナマイトだったんだとおもうんです。たとえば、「私」は実は「先生」を慕いつつも、一方で「批評的」にとらえているのではないかといった具合に。
『こゝろ』っていう小説=テクストは、そんなふうにそれまでの読みとは一転してしまうくらいの〈よくわからなさ〉を秘めた小説だとおもうんです。
つまり、「先生」は「私」に「遺書」を託したんですが、でも実は「遺書」が「私」にきちんと伝達されているのかどうかはあやしい。そうしてそれらを統括してる「私」の語りが、それを『こゝろ』として享受するわれわれ読者にもちゃんと届いているのかよくわからない。けれども、わからないということは、おそらくずっと意味の変換が、読みのモードの揺り起こしが行われつづけていくということだともおもうんです。
こういってよければ、『こゝろ』を読むということは、じぶんがいまどの位置から・誰として・どんなふうに・誰にむかって読むのかといったわたしの〈こころ〉を読む作業にもなるとおもうんです。
大事なことは、『こゝろ』は饒舌に語る〈死者〉が多すぎて、饒舌に語りつつも、死んでいるので語ることの抑圧にあっていることです。だから、どんなふうに「私」や「読者」が読もうとも、死者のことばはそれ以上、「私」や「読者」に対して批評してくるわけではない。「遺書」とはその場に凍ったことばだから。
だからその「遺書」を並べ替え、配置し、語りをつけくわえる「私」のように、死者のことばを生者が生者のことばで読解していくのが『こゝろ』の基本構造のようにおもうんです。
つまりどこまでも意味が固定化できないひとの「こころ」を読み込もうとしながら、みずからの「こころ」のありようを逆照射されるようなかたちでさらけださなければならないというのが、『こゝろ』というテクストのありようのようにもおもうんです。
それはうえの歌のように、あたかも文字化けしてる伝達不可能性を帯びた手紙の解読を〈夏目漱石〉というクレジットを信じて入念に微分していく読み手のようにもおもうのです。
僕の問題意識として強かったのは、僕らの時代は結構死んじゃう友人とかが、わりと時代風潮的に多くて、遺書手渡されて、ということも現にあったわけです。
そういう場合それをどのように抱えていけるのかっていう問題が残される。たとえば葬式の時に親に渡すのかどうかとかね、そういう具体的な問題とかがあった。その時にある選択をした場合、死者のことを美化してもなんにもならないわけですよね。
それから、たとえばテクストとしての遺書を持ち続けてるとすれば、常に脅かされつづける。つまり、もらった俺が殺したんじゃないかみたいなね、そういうことが常にあったわけです。しかし、「私」という青年にはそういう問いかけがないっていうことを感じたわけです。だからあの論文を書き終わった瞬間に反措定がでてしまったわけです。これはどうしたらいいのか、ということがあったわけです。
実は『こゝろ』のテクストというのはそれを読者の側につきつけてくるところがある。あるスタンスを選んでそれを批評した場合に、『こゝろ』だけではなくて、漱石的な言説っていうのは全てそうなんじゃないかっていう気が僕はしてならないわけです。そういう言説は一体どのように可能になるのかということを、この間考え続けてきたということがあるわけです。
小森陽一『総力討論 漱石の『こゝろ』』
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