【感想】シュールレアリズム昼寝をしてゐたる 中山奈々
- 2014/10/28
- 21:46
シュールレアリズム昼寝をしてゐたる 中山奈々
【(配置の)狂ったお茶会で】
中山奈々さんの「ジャポニカ学習帳」『-BLOG俳句新空間-』2013年6月14日からの一句です。
昨日、定型における〈配置〉の話をしたんですが、よく世間でいわれる〈シュール〉、〈シュールレアリズム〉、〈超現実主義〉なんかもこれは〈配置〉の問題なのではないかと思ったりすることがあるんです。
そもそも、Surは、「~の上に」と言う意味で英語の前置詞でいえば、on。réalismeは、「現実主義」。
だから、ことばとしても「現実主義の上に」という感じで〈配置的〉だとおもうんです。
シュールレアリスムで有名な絵に、サルバドール・ダリの「記憶の固執」があります。
この絵も、なにが〈シュール〉なのかといわれれば、なんでこんなところにこんなふうに時計があるの、という〈配置〉の問題なのではないかとおもうんです。
時計は、日常のなかでヘヴィーに使用する物なので、基本的にひとがみやすい位置としての配置が決まっているわけです。
ところがこれはそうしたひとがみやすい・つかいやすい・可能行動範囲としてのアフォーダンスを無視したような〈配置〉になっています。
この絵では、アフォーダンス(環境がわたしたちの行動に与える意味範囲)が失調している、ぶっこわれているわけです。
それは、たぶん、〈配置〉がおかしいからなのではないか。時計としての配置がくるっているからなのではないか。
中山さんの句なんですが、最初にどんと「シュールレアリズム」と置かれたあとで「昼寝をしてゐたる」と記述されています。
この「シュールレアリズム」を〈配置異常〉としてとらえてみます。
だから、あえて、ちょっと、かなりくだけたかたちで訳してみるとこんな感じになるのではないかとおもいます。
「あれ、これ、なんか、配置おかしくね? おかしいよな? 昼寝をしているわけなんだが」。
昼寝をする、昼寝をしつづけている状態にある、というのは、日常的な行為だとおもうんですが、ただこの〈寝る〉という行為、とくに〈昼寝〉のような浅い眠りの場合は、じぶんがどこで寝ていたのか、あるいは浅いがためのいまじぶんが寝ている場所とリンクしあうような接続過剰な夢をみたりするとおもうんですよね(たとえば畳の痛さが夢に反映されたり)。
こういった〈昼寝〉による〈配置異常〉が語られた句なのではないかと。
そもそも、定型内においても、「シュールレアリズム」と8音も占めていることでどこかに定型に慣れた読み手に配置の調律に不安感をもたらせているとおもうんです。配置のアンバランスさというか。
そうした配置の不安定感が、語感としても、身体的にも、定型の調律としても〈シュールレアリズム〉としてあらわれている句なのではないかとおもうんです。
ところで、シュールレアリスムの句は、川柳にもあるんです。
ひとり静さんの句なんですが、この句がおもしろいのは、配置異常を、語り手が「土をかける」というみずから配置しなおす行為によって、定型内で、語り手のアフォーダンス(環境意味世界)を実行しているところにあるとおもいます。配置異常にさらに配置を仕掛ける。シュール・シュール・リアリズム!
つまり、どうするのかといえば、
土かけてみましたシュールリアリズム ひとり静
【(配置の)狂ったお茶会で】
中山奈々さんの「ジャポニカ学習帳」『-BLOG俳句新空間-』2013年6月14日からの一句です。
昨日、定型における〈配置〉の話をしたんですが、よく世間でいわれる〈シュール〉、〈シュールレアリズム〉、〈超現実主義〉なんかもこれは〈配置〉の問題なのではないかと思ったりすることがあるんです。
そもそも、Surは、「~の上に」と言う意味で英語の前置詞でいえば、on。réalismeは、「現実主義」。
だから、ことばとしても「現実主義の上に」という感じで〈配置的〉だとおもうんです。
シュールレアリスムで有名な絵に、サルバドール・ダリの「記憶の固執」があります。
この絵も、なにが〈シュール〉なのかといわれれば、なんでこんなところにこんなふうに時計があるの、という〈配置〉の問題なのではないかとおもうんです。
時計は、日常のなかでヘヴィーに使用する物なので、基本的にひとがみやすい位置としての配置が決まっているわけです。
ところがこれはそうしたひとがみやすい・つかいやすい・可能行動範囲としてのアフォーダンスを無視したような〈配置〉になっています。
この絵では、アフォーダンス(環境がわたしたちの行動に与える意味範囲)が失調している、ぶっこわれているわけです。
それは、たぶん、〈配置〉がおかしいからなのではないか。時計としての配置がくるっているからなのではないか。
中山さんの句なんですが、最初にどんと「シュールレアリズム」と置かれたあとで「昼寝をしてゐたる」と記述されています。
この「シュールレアリズム」を〈配置異常〉としてとらえてみます。
だから、あえて、ちょっと、かなりくだけたかたちで訳してみるとこんな感じになるのではないかとおもいます。
「あれ、これ、なんか、配置おかしくね? おかしいよな? 昼寝をしているわけなんだが」。
昼寝をする、昼寝をしつづけている状態にある、というのは、日常的な行為だとおもうんですが、ただこの〈寝る〉という行為、とくに〈昼寝〉のような浅い眠りの場合は、じぶんがどこで寝ていたのか、あるいは浅いがためのいまじぶんが寝ている場所とリンクしあうような接続過剰な夢をみたりするとおもうんですよね(たとえば畳の痛さが夢に反映されたり)。
こういった〈昼寝〉による〈配置異常〉が語られた句なのではないかと。
そもそも、定型内においても、「シュールレアリズム」と8音も占めていることでどこかに定型に慣れた読み手に配置の調律に不安感をもたらせているとおもうんです。配置のアンバランスさというか。
そうした配置の不安定感が、語感としても、身体的にも、定型の調律としても〈シュールレアリズム〉としてあらわれている句なのではないかとおもうんです。
ところで、シュールレアリスムの句は、川柳にもあるんです。
ひとり静さんの句なんですが、この句がおもしろいのは、配置異常を、語り手が「土をかける」というみずから配置しなおす行為によって、定型内で、語り手のアフォーダンス(環境意味世界)を実行しているところにあるとおもいます。配置異常にさらに配置を仕掛ける。シュール・シュール・リアリズム!
つまり、どうするのかといえば、
土かけてみましたシュールリアリズム ひとり静
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