【お知らせ】『Senryu So 終刊号Vol.6』2014秋(発行 石川街子・妹尾凛・八上桐子)
- 2014/10/30
- 21:39
【最終回から、はじめる】
妹尾凛さんのブログ記事「またいつかどこかで 」、八上桐子さんのブログ記事「senryu So 終刊号 」でも紹介されていますが、先日発刊された『Senryu So Vol.6 終刊号 2014年 秋』(発行 石川街子・妹尾凛・八上桐子)のゲストに招待していただきました。
本誌では、石川さん、妹尾さん、八上さんによる「メルヘンを詠む」といった不気味でロマンティックですこし怖い〈童話〉を軸にさんにんの川柳が展開されていくテーマ詠など面白い企画が掲載されています。
わたしは、連作20句「二十七時に会いましょう」を載せていただきました。
ねえきみがすきだったんだバスクリン 柳本々々
連作のなかからこの一句を、先ほどの記事で妹尾凛さんから評を書いていただいたのですが、「色と香りのついた、お別れ」という指摘に、たしかにバスクリンというのは、その効果がいちばん発動したときに消えてなくなっていくものなんだな、とあらためてバスクリンの記号性みたいなものをかんがえました。
カラフルで溶けるものといえば、妹尾凛さんにこんな句があります。
さみしいものをさがしてごらん金平糖 妹尾凛
この句も、上五・中七が〈発話〉+下五に〈名詞〉という構造になっているんですが、発話と名詞が化学反応を起こすかたちで〈金平糖〉の記号性が発現し、「さみしいものをさがしてごらん」を「金平糖」が方向づけるというかたちになっています。
バスクリンも金平糖もカラフルで、溶けてなくなるものですが、バスクリンは開封して使えば即座に溶けてなくなるという使用価値に対して、金平糖はいつまでも〈みつづけ〉ていようという意志さえあれば、その色彩を半永久的に保つことができるというタフネスがあります。つまり、〈食べる〉という使用価値を抑圧し、〈みる〉という記号価値として保存しつづけること。記号としての生をいかしつづけること。
「ねえきみがすきだったんだ」は過去形で、それがどんなにカラフルで香りゆたかでも喪失にむかいますが、「さみしいものをさがしてごらん」は、それがたとえ「さみしいもの」でも「さがし」つづけてゆくという〈生〉のタフネスがある。こんぺいとうの固さのように。
『Senryu So 終刊号』には、終刊号でありながらも、最後のページにこんなふうに〈定型〉で記してあります。
またいつかどこかで、すれ違いましょう。
〈最終回〉とは、そんなふうに、〈はじめてのさみしさ〉がどこまでも続いていく〈遅延された終わり〉なのではないかとおもうことがあるのです。
つまり、最終回とくちにできたときに、はじめてひとは〈はじまり〉の地点に立つことができるのだ、と。
つま先を森へと向けて眠る秋 石川街子
しんしんと眠るじゅうぶん消えるまで 妹尾凛
夜の入口ではぐれたくるぶし 八上桐子
さようなら 最終回が季語になる 柳本々々
- 関連記事
-
- 【お知らせ】飯田有子さんの文芸スキマ誌『別腹』(第二十回文学フリマ)に〈ぷりぷり〉方面から参加 (2015/04/25)
- 【参考資料】暮田真名『補遺』批評会レポートーわたしはどこにも行きたくない、ここにいたいー寿司・もなか・ポテチー/柳本々々 (2019/10/08)
- 【お知らせ】連作と近況「無臭都市」『はがきハイク』17号、2017年10月 (2017/10/20)
- 【お知らせ】「【忌日を読む】走り出す桜桃忌、問いかけられるメロスたち、そそられる太宰治(動的な意味で)-びよんびよんから始めて-」『週刊俳句 第429号』 (2015/07/12)
- 【お知らせ】詩「ぼくはこわくない(あるきだす言葉たち)」『朝日新聞』夕刊、2019年5月29日 (2019/05/29)
スポンサーサイト
- テーマ:詩・ことば
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々のお知らせ