【感想】さみしくて暑くて、寝てた。これだから夕方は嫌だ、母がゐさうで。 山下翔
- 2014/11/06
- 18:00
さみしくて暑くて、寝てた。これだから夕方は嫌だ、母がゐさうで。 山下翔
【人間化するベクトル】
山下さんの短歌の面白さに、ふっと重心が下の句で出てくるアンバランスさというのがあるようにおもうんです。
そしてそのアンバランスさは、口語と歴史的仮名遣い及び文語の組み合わせによって効果的にあらわれているのではないか、というのが考えてみたいことです。
上にあげた歌は文語はないのですが、結句において「母がゐさうで。」と唐突な感じで歴史的仮名遣いが出てきます。
これが唐突な感じをうけるのは、「さみしくて暑くて、寝てた。これだから夕方は嫌だ」という結句にいたるまでのくだけた口語によるものだと思います。
ただの整えた口語ではなく、あえて「くて/くて/ねて」と言葉づかいとしては〈いいにくい〉、寝起きの不慣れなことばづかいをしつつも、とつぜん言語に対する意識をはっきりと覚醒させたかのように歴史的仮名遣いで「ゐさうで」という。
こうした〈寝起き〉から〈母〉を経由しての言語の〈覚醒〉が17音のベクトルとしての流れのなかに配置されているのではないかとおもいます。
寝起きから覚醒へ。つまり、これがことばを軸にした身体のたちあがりかたということになります。
ことばを使用する者の身体性ではなく、ことばそのものにある身体性ではなく、ことばづかいの流れのなかでたちあがってくる身体性です。
そのようなことばづかいのなかに身体性を見いだしているところに山下さんの短歌のひとつの面白さがあるようにおもいます。
記憶よ、お前いつからそこに立つてゐる。鉛筆で手を汚さなくなり 山下翔
【人間化するベクトル】
山下さんの短歌の面白さに、ふっと重心が下の句で出てくるアンバランスさというのがあるようにおもうんです。
そしてそのアンバランスさは、口語と歴史的仮名遣い及び文語の組み合わせによって効果的にあらわれているのではないか、というのが考えてみたいことです。
上にあげた歌は文語はないのですが、結句において「母がゐさうで。」と唐突な感じで歴史的仮名遣いが出てきます。
これが唐突な感じをうけるのは、「さみしくて暑くて、寝てた。これだから夕方は嫌だ」という結句にいたるまでのくだけた口語によるものだと思います。
ただの整えた口語ではなく、あえて「くて/くて/ねて」と言葉づかいとしては〈いいにくい〉、寝起きの不慣れなことばづかいをしつつも、とつぜん言語に対する意識をはっきりと覚醒させたかのように歴史的仮名遣いで「ゐさうで」という。
こうした〈寝起き〉から〈母〉を経由しての言語の〈覚醒〉が17音のベクトルとしての流れのなかに配置されているのではないかとおもいます。
寝起きから覚醒へ。つまり、これがことばを軸にした身体のたちあがりかたということになります。
ことばを使用する者の身体性ではなく、ことばそのものにある身体性ではなく、ことばづかいの流れのなかでたちあがってくる身体性です。
そのようなことばづかいのなかに身体性を見いだしているところに山下さんの短歌のひとつの面白さがあるようにおもいます。
記憶よ、お前いつからそこに立つてゐる。鉛筆で手を汚さなくなり 山下翔
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