【短歌】やれやれと…(毎日新聞・毎日歌壇2014年11月9日・加藤治郎 選)
- 2014/11/09
- 04:00
やれやれと鳴きだす象・猫・カンガルー、ハードボイルド動物園で 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2014年11月9日・加藤治郎 選)
【セックスについて語るときに我々の語ること】
村上春樹の小説って動物がとにかくたくさん出てくるんですが、大事なのはそこに愛護や愛玩の視線がいっさいないということなのではないかとおもうんです。
動物とよく組み合わされて語られる愛情がいっさいパッケージングされない。
じゃあ、春樹の小説にでてくる象や猫や猿や羊やカンガルーはなんなのかというと、たぶんそれは、言語的存在といったほうがいいのではないか。
だから、マテリアルでもふもふしていてやわらかい撫でたり愛撫したりするような存在ではない。
で、すこしそこから広げてかんがえてみると、村上春樹の小説にやはりたびたび出てくるセックスもおなじなのではないかというようにおもうんです。
村上春樹の小説ではとても淡白にまるでタイムカードをいれるみたいにセックスが遂行されるんですが、これもやはりセックスでは語られる際にパッケージングされやすい愛情がいっしょにされないからではないかとおもうんです。
純粋な言語行動にちかいのではないか。
しかしだからこそ、〈反感〉もくらいやすいんではないかとおもうんですね。こんなかんたんに、愛もなさそうに、セックスしてやだなあ、と。
でも、その〈やだ〉もふくめて、もしかしたら言語的にセックスを描いているかもしれない。
そんなふうなハードボイルドな言語的な動物やセックスにあふれているのが村上春樹の小説ではないかとおもったりするんです。
つまり、ひとは、どうやって過剰に流通される〈愛〉を語ることを回避して、語らないかたちで、しかしことばは手放さないかたちで、〈愛〉を語ることができるか、という(たぶん〈文学〉の)課題。
私はまたどこかべつの場所で、ドアだか、雨傘だか、ドーナッツだか、象さんだかのかたちをしたものを探し求めることになるだろう。どこであれ、それが見つかりそうな場所で。
村上春樹『東京奇譚集』
(毎日新聞・毎日歌壇2014年11月9日・加藤治郎 選)
【セックスについて語るときに我々の語ること】
村上春樹の小説って動物がとにかくたくさん出てくるんですが、大事なのはそこに愛護や愛玩の視線がいっさいないということなのではないかとおもうんです。
動物とよく組み合わされて語られる愛情がいっさいパッケージングされない。
じゃあ、春樹の小説にでてくる象や猫や猿や羊やカンガルーはなんなのかというと、たぶんそれは、言語的存在といったほうがいいのではないか。
だから、マテリアルでもふもふしていてやわらかい撫でたり愛撫したりするような存在ではない。
で、すこしそこから広げてかんがえてみると、村上春樹の小説にやはりたびたび出てくるセックスもおなじなのではないかというようにおもうんです。
村上春樹の小説ではとても淡白にまるでタイムカードをいれるみたいにセックスが遂行されるんですが、これもやはりセックスでは語られる際にパッケージングされやすい愛情がいっしょにされないからではないかとおもうんです。
純粋な言語行動にちかいのではないか。
しかしだからこそ、〈反感〉もくらいやすいんではないかとおもうんですね。こんなかんたんに、愛もなさそうに、セックスしてやだなあ、と。
でも、その〈やだ〉もふくめて、もしかしたら言語的にセックスを描いているかもしれない。
そんなふうなハードボイルドな言語的な動物やセックスにあふれているのが村上春樹の小説ではないかとおもったりするんです。
つまり、ひとは、どうやって過剰に流通される〈愛〉を語ることを回避して、語らないかたちで、しかしことばは手放さないかたちで、〈愛〉を語ることができるか、という(たぶん〈文学〉の)課題。
私はまたどこかべつの場所で、ドアだか、雨傘だか、ドーナッツだか、象さんだかのかたちをしたものを探し求めることになるだろう。どこであれ、それが見つかりそうな場所で。
村上春樹『東京奇譚集』
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