【お知らせ】「〈少年・愛〉とマヨネーズ 倉本朝世から魚喃キリコを経てリチャード・ブローティガンへ」『週刊俳句 Haiku Weekly第397号』
- 2014/11/30
- 09:36
『週刊俳句 Haiku Weekly第397号』にて「〈少年・愛〉とマヨネーズ 倉本朝世から魚喃キリコを経てリチャード・ブローティガンへ 」という文章を載せていただきました。『週刊俳句』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
ほんとうはここに森田芳光『家族ゲーム』の松田優作が家庭の食卓で乱射するマヨネーズもつけたかったんですが、それはあえて今回の文章の〈外部〉に置かれるマヨネーズにしてみました(映画的マヨネーズ運動そのままに)。
そこでも非言語的な暴力がとつぜん噴出し、いままで抑圧されていた家庭の風景がマヨネーズによって壊れることになります。
倉本さんのマヨネーズの句は、わたしなりにまとめてみると、さまざまな位相をはらみながらも、それが意味づけられないことがポイントになるのではないかとおもいます。そうした意味の乱反射=攪拌がマヨネーズになっていく。
ちなみに、倉本さん自身は、かつて「少年が少年を愛すること、そこからイメージされる味は、きっとマヨネーズの味と同じ種類にちがいない、とある時感じた瞬間に、この句はできてしまった」と自解されていました。
そこからどれだけマヨネーズ飛翔できるかが今回のわたしのマヨネーズ的課題でした。
魚喃キリコさんの『南瓜とマヨネーズ』のタイトルの由来は、どうも「それがいつも冷蔵庫にある《日常物》だから」という理由でつけられたらしいのですが(あと「★と☆」構文が好きらしい)、ただマンガの内容面から、しかも倉本さんの句と響きあわせながらマヨネーズ的に読むとどうなるかということで挑んでみました。
魚喃さんのマンガは〈ことば〉のなにげない使い方が決定的になる瞬間があってそれがけっこう大事ではないかとおもっています。
ブローティガンのマヨネーズについては、今回、〈終わり〉に注目してみました。ちなみに、文学作品の〈終わり〉に注目した研究書があって高橋修さんの『主題としての“終り”―文学の構想力』というとてもおもしろい研究があります。この本の内容をひとことであえていうならば、〈終わり〉というのは意味の欲望をめぐるたいへん〈政治的〉な場所であるということです。
西原天気さんがかつて倉本さんのマヨネーズの句を「「マヨネーズ」への悦ばしい展開」と指摘されていましたが、その〈悦ばしさ〉の一端をさぐってみることが今回のマヨネーズ的試みでした。つまり、それは、意味でも、ことばでも、思考でもなく、
まよねーず。
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
ほんとうはここに森田芳光『家族ゲーム』の松田優作が家庭の食卓で乱射するマヨネーズもつけたかったんですが、それはあえて今回の文章の〈外部〉に置かれるマヨネーズにしてみました(映画的マヨネーズ運動そのままに)。
そこでも非言語的な暴力がとつぜん噴出し、いままで抑圧されていた家庭の風景がマヨネーズによって壊れることになります。
倉本さんのマヨネーズの句は、わたしなりにまとめてみると、さまざまな位相をはらみながらも、それが意味づけられないことがポイントになるのではないかとおもいます。そうした意味の乱反射=攪拌がマヨネーズになっていく。
ちなみに、倉本さん自身は、かつて「少年が少年を愛すること、そこからイメージされる味は、きっとマヨネーズの味と同じ種類にちがいない、とある時感じた瞬間に、この句はできてしまった」と自解されていました。
そこからどれだけマヨネーズ飛翔できるかが今回のわたしのマヨネーズ的課題でした。
魚喃キリコさんの『南瓜とマヨネーズ』のタイトルの由来は、どうも「それがいつも冷蔵庫にある《日常物》だから」という理由でつけられたらしいのですが(あと「★と☆」構文が好きらしい)、ただマンガの内容面から、しかも倉本さんの句と響きあわせながらマヨネーズ的に読むとどうなるかということで挑んでみました。
魚喃さんのマンガは〈ことば〉のなにげない使い方が決定的になる瞬間があってそれがけっこう大事ではないかとおもっています。
ブローティガンのマヨネーズについては、今回、〈終わり〉に注目してみました。ちなみに、文学作品の〈終わり〉に注目した研究書があって高橋修さんの『主題としての“終り”―文学の構想力』というとてもおもしろい研究があります。この本の内容をひとことであえていうならば、〈終わり〉というのは意味の欲望をめぐるたいへん〈政治的〉な場所であるということです。
西原天気さんがかつて倉本さんのマヨネーズの句を「「マヨネーズ」への悦ばしい展開」と指摘されていましたが、その〈悦ばしさ〉の一端をさぐってみることが今回のマヨネーズ的試みでした。つまり、それは、意味でも、ことばでも、思考でもなく、
まよねーず。
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