【感想】精巣という安らかなロスタイム 野沢省悟
- 2014/12/02
- 12:00
精巣という安らかなロスタイム 野沢省悟
【精子の内面】
柳瀬尚紀さんが『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』という本のなかで、ジョイスの『ユリシーズ』のある章の語り手がダブリンの街角をうろついている一匹の野良犬であることを論証しているんですが、そんなふうに語り手がいったい〈だれ〉であるのか、〈なにもの〉であるのか、というのは文学や表現行為における〈語り〉をかんがえるうえでとても大事な問題になってくるとおもうんです。
たとえば、野良犬としての〈語り手〉だからこそ、みえてくる風景、つむぐことのできる感性、ふだんとはちがう言葉の組立て方ができるということもありうる。
で、野沢さんのこの句をみたときに、その語り手は〈だれ〉なのかという問題がでてくるようにもおもうんです。
「ロスタイム」といえるのは〈だれ〉なのかということです。
「ロスタイム」というのはサッカーの試合などでよくきかれることばですが、時間外の時間、というような無駄に使用してしまった時間、予定に組み込まれていない時間、というような意味合いがあるようにおもう。
だからロスタイムのぶん、試合が続けられたりもするんですが、ここで「安らかな」という修飾が「ロスタイム」についている点に注意してみたいとおもうんです。
〈だれ〉がこの「ロスタイム」によって「安らか」になれるのか。
「精巣」というのは精子を生成する場所もしくは担保する場所だとおもうんですが、その「精巣」の〈外部〉へでたときに、精子は生きるか死ぬかという〈シビア〉な環境におもむかなければならない。
だからこの「安らかな」は、精子を所持する〈人間・男性〉語り手というよりは〈精子〉そのものであるようにもおもうのです。
〈精子〉が語り手である、と。
精子がふだんは〈直覚〉されるのは、射精をして〈外部〉に出た後です。
そのときはじめて精子に対してなんらかの〈感情〉がもたらされるかもしれない(たとえば北大路翼さんの句「手に受けし精子あたたか冬の夜 」のように)。
だから、「精巣」内にあるときの「安らか」という感情を《事後》的に振り返ることのできるのは、〈精子〉しかいないのではないか。
これはそうした〈精子〉としての語り手がまざまざとあらわれてくる句ではないかとおもうのです。
〈精子〉としての語り手が、「精巣」の〈外部〉へ出て、いま生きるか死ぬかの状態に接近しつつも、事後的にみずからの「安らかなロスタイム」としての〈内面〉をふりかえった句ではなかったかと。
おしっこをするたび法蓮華経かな 野沢省悟
【精子の内面】
柳瀬尚紀さんが『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』という本のなかで、ジョイスの『ユリシーズ』のある章の語り手がダブリンの街角をうろついている一匹の野良犬であることを論証しているんですが、そんなふうに語り手がいったい〈だれ〉であるのか、〈なにもの〉であるのか、というのは文学や表現行為における〈語り〉をかんがえるうえでとても大事な問題になってくるとおもうんです。
たとえば、野良犬としての〈語り手〉だからこそ、みえてくる風景、つむぐことのできる感性、ふだんとはちがう言葉の組立て方ができるということもありうる。
で、野沢さんのこの句をみたときに、その語り手は〈だれ〉なのかという問題がでてくるようにもおもうんです。
「ロスタイム」といえるのは〈だれ〉なのかということです。
「ロスタイム」というのはサッカーの試合などでよくきかれることばですが、時間外の時間、というような無駄に使用してしまった時間、予定に組み込まれていない時間、というような意味合いがあるようにおもう。
だからロスタイムのぶん、試合が続けられたりもするんですが、ここで「安らかな」という修飾が「ロスタイム」についている点に注意してみたいとおもうんです。
〈だれ〉がこの「ロスタイム」によって「安らか」になれるのか。
「精巣」というのは精子を生成する場所もしくは担保する場所だとおもうんですが、その「精巣」の〈外部〉へでたときに、精子は生きるか死ぬかという〈シビア〉な環境におもむかなければならない。
だからこの「安らかな」は、精子を所持する〈人間・男性〉語り手というよりは〈精子〉そのものであるようにもおもうのです。
〈精子〉が語り手である、と。
精子がふだんは〈直覚〉されるのは、射精をして〈外部〉に出た後です。
そのときはじめて精子に対してなんらかの〈感情〉がもたらされるかもしれない(たとえば北大路翼さんの句「手に受けし精子あたたか冬の夜 」のように)。
だから、「精巣」内にあるときの「安らか」という感情を《事後》的に振り返ることのできるのは、〈精子〉しかいないのではないか。
これはそうした〈精子〉としての語り手がまざまざとあらわれてくる句ではないかとおもうのです。
〈精子〉としての語り手が、「精巣」の〈外部〉へ出て、いま生きるか死ぬかの状態に接近しつつも、事後的にみずからの「安らかなロスタイム」としての〈内面〉をふりかえった句ではなかったかと。
おしっこをするたび法蓮華経かな 野沢省悟
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