【川柳】おっぱい…(「第一回川柳カード誌上大会・題「世界」樋口由紀子 選・入選『川柳カード7号』2014年11月)
- 2014/12/02
- 23:16
おっぱい × n二乗(セカイ系) 柳本々々
(「第一回川柳カード誌上大会・題「世界」樋口由紀子 選・入選『川柳カード7号』2014年11月)
【抑圧の排除】
ときどき秋葉原という街についてかんがえていることがあって、唯一日本で〈おっぱい〉の表象が承認されている街という気がするんです。
たとえば秋葉原の街を歩いていてすぐに気がつくのは、そこかしこに〈巨乳〉のイメージが氾濫していることです。
で、こんな街はおそらく日本のどこをさがしてもないのではないか。
ところがたとえば鶯谷のようなラブホ街、もしくは池袋や歌舞伎町や川崎や横浜にあるような、ある意味、〈整理〉された〈風俗街〉のある地区とはちがって、秋葉原には〈風俗街〉はない。ラブホもない。
これも秋葉原のふしぎな点です。
なにかが蔓延している一方で、なにかが排除されている。
なんなのか。
つまり、あえてこんないいかたをしてみるならば、現実界としてのリアルな〈おっぱい〉は抑圧されて、(整理されているわけではなくて)〈排除〉されている。
そのかわり、イメージとしての、想像界としての、〈おっぱい〉はむしろ街をおおいつくしている。
それがすごく不思議で、どういうことなんだろう、とおもったりしています。
秋葉原の〈現実界〉は〈どこ〉にあるんだろう、と。
でも逆にいえば、どこの街だって、その〈街〉を抑圧した〈現実界〉を抱え込んでいるわけだから、秋葉原というのは街の〈想像界〉化にはじめて成功してしまった街なんじゃないかとも、おもうのです。
でも、わたしたちがもう知っているように秋葉原にも、とつぜん、〈現実界〉は、やってくる。
ちなみに秋葉原についての研究書としては、 森川嘉一郎さんの『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ』が参考になります。
渋谷との比較からの視点や、なぜ秋葉原のイメージには赤と白がおおいのかというナショナルな観点、またはアキバとしてのイメージの形成など興味深い視点が展開されています。
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鳥籠の鳥が動いてご破算に 樋口由紀子
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