【感想】幸せがのびのびしてる小説で少し曇った眼鏡を掛ける 今野浮儚
- 2014/12/08
- 06:00
幸せがのびのびしてる小説で少し曇った眼鏡を掛ける 今野浮儚
【眼鏡と睡眠】
今日の加藤治郎さん選の毎日歌壇から、今野さんの短歌です。
眼鏡って曇るんですよね。
視界は曇ることはないんだけれども、眼鏡は曇ることがある。
これって結構大事なことではないかとおもっていて、〈みる〉行為に、じぶんのみる/みないという意志だけじゃなくて、みえる/みえないという非意志の位相も混じってくる。
だからこの今野さんの歌の語り手は、「掛ける」という意志的な行為をしつつも、「少し曇った」という非意志の行為もそこに混じらせている。
その意志と非意志のはざまに、この語り手の「幸せがのびのびしてる小説」への態度があるのかなあ、っておもうんです。
わたしは眼鏡についてよくかんがえるのですが、この歌からわたしが学んだことのひとつは、眼鏡っていうのは、ひとつのひとの態度の取り方なんだなということです。眼鏡とは、態度であるということ。
しかも、意志と非意志がまじった微妙なスタンスをとるのが眼鏡です。
じぶんがどれだけ〈み〉ようとしても曇ればみえなくなるのがめがねだし、じぶんがどれだけ〈みない〉でおこうとおもってもその掛けている状態によって〈み〉ようとしている意志におかれてしまうのもめがねです。
そうした眼鏡をかけてしまうひとがおかれてしまう微妙な位置性があらわれているのがこの歌のひとつのおもしろさなのかなとおもうのです。
ちなみにこうした微妙なみることをめぐる行為は眼鏡以外にもうひとつあるとおもいます。
すいみん、です。
眼鏡と睡眠。
なんだかどちらも字面が似ていて、かつ、眼鏡も睡眠もどちらにも、《目》が存分にはいってます。
コンビニのいちばん奥に睡(ねむ)ってるペットボトルにわたしはなりたい 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇 加藤治郎 選・2014年12月8日)
【眼鏡と睡眠】
今日の加藤治郎さん選の毎日歌壇から、今野さんの短歌です。
眼鏡って曇るんですよね。
視界は曇ることはないんだけれども、眼鏡は曇ることがある。
これって結構大事なことではないかとおもっていて、〈みる〉行為に、じぶんのみる/みないという意志だけじゃなくて、みえる/みえないという非意志の位相も混じってくる。
だからこの今野さんの歌の語り手は、「掛ける」という意志的な行為をしつつも、「少し曇った」という非意志の行為もそこに混じらせている。
その意志と非意志のはざまに、この語り手の「幸せがのびのびしてる小説」への態度があるのかなあ、っておもうんです。
わたしは眼鏡についてよくかんがえるのですが、この歌からわたしが学んだことのひとつは、眼鏡っていうのは、ひとつのひとの態度の取り方なんだなということです。眼鏡とは、態度であるということ。
しかも、意志と非意志がまじった微妙なスタンスをとるのが眼鏡です。
じぶんがどれだけ〈み〉ようとしても曇ればみえなくなるのがめがねだし、じぶんがどれだけ〈みない〉でおこうとおもってもその掛けている状態によって〈み〉ようとしている意志におかれてしまうのもめがねです。
そうした眼鏡をかけてしまうひとがおかれてしまう微妙な位置性があらわれているのがこの歌のひとつのおもしろさなのかなとおもうのです。
ちなみにこうした微妙なみることをめぐる行為は眼鏡以外にもうひとつあるとおもいます。
すいみん、です。
眼鏡と睡眠。
なんだかどちらも字面が似ていて、かつ、眼鏡も睡眠もどちらにも、《目》が存分にはいってます。
コンビニのいちばん奥に睡(ねむ)ってるペットボトルにわたしはなりたい 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇 加藤治郎 選・2014年12月8日)
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