【感想】一字ずつ覚える殺し屋の名前 倉本朝世
- 2014/12/11
- 13:00
一字ずつ覚える殺し屋の名前 倉本朝世
【何故あなたはデリダなのか】
倉本朝世さんの『硝子を運ぶ』からの一句です。
「名前」というものに昔からとても興味があって、万葉の時代だと名前をきくことが求婚そのものになったり、あるいは宮崎駿のマンガの『風の谷のナウシカ』で巨神兵にナウシカが名前をつけたとたんに、巨神兵が知識をとつぜんもちはじめたりするんですよね。
だから朝世さんの句集タイトルに『なつかしい呪文』がありますが、〈なつかしい呪文〉のように、〈名前〉はだれもがもっているいちばんなつかしくてあたらしい呪文なのではないかとおもったりするんですよ。
あたらしいだれかにであって、あたらしく、しかし、なつかしく名前を呼ばれるたびに、あたらしい、しかし、なつかしいじぶんがうまれる/しぬ。
それは言葉の呪的要素であり、言語化できない声といったもろもろもふくみながらも、呪文のように発動していくものなのではないかと。
一字ずつ覚える殺し屋の名前 倉本朝世
の句がとてもすきで、国会図書館で朝世さんの句集を読んでいたときに、即座にノートにメモしたのをよく覚えています。
名前のちかづきがたさ、名前の呪的要素を強く感じて、とても印象に残った句です。
「殺し屋」というのはボディーを失調させる、つまり〈殺す〉のが仕事ですが、おそらく「殺し屋」がゆいいつ殺せないのが〈名前〉です。
そして「殺し屋」がおそらく一生涯もつことができないのも自分と自分を同一化する〈固有名〉なのではないかとおもいます。かれは〈名前〉に先だって〈殺し屋〉なのです。
でもその「殺し屋」の名前を記憶しようとしている人間がある。
それは、「殺し屋」を〈殺す〉作業になるはずです。
「殺し屋」が「殺し屋」として殺され、〈固有名〉として殺し屋がうまれる瞬間。
定型でも、「ころし/や」と殺し屋が解体されているのがわかります。
名前、ということで、この句集『なつかしい呪文』の作者の倉本朝世(くらもと・あさよ)さんの名前にも注目してみたいとおもいます。
「世界」の「世(せ)」という音(おん)よりも、「この世」「あの世」を想起させる「世(よ)」という響きが「なつかしい呪文」とひびきあって超越的で、でもそこが同時に親密な空間を形成しているようにも感じます。
朝世さんに、ひとを吐き出してふわふわと浮かんでいる家の句がありますが、
人吐いて家ふわふわと野に遊ぶ 倉本朝世
超越的なのだけれども、それが「家」なのでやはり親密である、という感じがします。
しかもこの家は飛んだあとに野で遊んでいます。
超越性(ふわふわ)と親密性(遊ぶ)が共存しています。
でも、飛ぶ、のは、家、だけでは、ありません。
名前、だって、飛ぶ、のです。
その気さえ、あれば。
春風に苗字を飛ばす召し使い 倉本朝世
【何故あなたはデリダなのか】
倉本朝世さんの『硝子を運ぶ』からの一句です。
「名前」というものに昔からとても興味があって、万葉の時代だと名前をきくことが求婚そのものになったり、あるいは宮崎駿のマンガの『風の谷のナウシカ』で巨神兵にナウシカが名前をつけたとたんに、巨神兵が知識をとつぜんもちはじめたりするんですよね。
だから朝世さんの句集タイトルに『なつかしい呪文』がありますが、〈なつかしい呪文〉のように、〈名前〉はだれもがもっているいちばんなつかしくてあたらしい呪文なのではないかとおもったりするんですよ。
あたらしいだれかにであって、あたらしく、しかし、なつかしく名前を呼ばれるたびに、あたらしい、しかし、なつかしいじぶんがうまれる/しぬ。
それは言葉の呪的要素であり、言語化できない声といったもろもろもふくみながらも、呪文のように発動していくものなのではないかと。
一字ずつ覚える殺し屋の名前 倉本朝世
の句がとてもすきで、国会図書館で朝世さんの句集を読んでいたときに、即座にノートにメモしたのをよく覚えています。
名前のちかづきがたさ、名前の呪的要素を強く感じて、とても印象に残った句です。
「殺し屋」というのはボディーを失調させる、つまり〈殺す〉のが仕事ですが、おそらく「殺し屋」がゆいいつ殺せないのが〈名前〉です。
そして「殺し屋」がおそらく一生涯もつことができないのも自分と自分を同一化する〈固有名〉なのではないかとおもいます。かれは〈名前〉に先だって〈殺し屋〉なのです。
でもその「殺し屋」の名前を記憶しようとしている人間がある。
それは、「殺し屋」を〈殺す〉作業になるはずです。
「殺し屋」が「殺し屋」として殺され、〈固有名〉として殺し屋がうまれる瞬間。
定型でも、「ころし/や」と殺し屋が解体されているのがわかります。
名前、ということで、この句集『なつかしい呪文』の作者の倉本朝世(くらもと・あさよ)さんの名前にも注目してみたいとおもいます。
「世界」の「世(せ)」という音(おん)よりも、「この世」「あの世」を想起させる「世(よ)」という響きが「なつかしい呪文」とひびきあって超越的で、でもそこが同時に親密な空間を形成しているようにも感じます。
朝世さんに、ひとを吐き出してふわふわと浮かんでいる家の句がありますが、
人吐いて家ふわふわと野に遊ぶ 倉本朝世
超越的なのだけれども、それが「家」なのでやはり親密である、という感じがします。
しかもこの家は飛んだあとに野で遊んでいます。
超越性(ふわふわ)と親密性(遊ぶ)が共存しています。
でも、飛ぶ、のは、家、だけでは、ありません。
名前、だって、飛ぶ、のです。
その気さえ、あれば。
春風に苗字を飛ばす召し使い 倉本朝世
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