【感想】右手と右手つないで登ってゆく 小池正博
- 2014/12/11
- 18:24
右手と右手つないで登ってゆく 小池正博
【魔法陣としての円環】
『川柳カード7号』の小池正博さんの連作「京育ち」からの一句です。
通常、手をつなぐといえば、右手と左手ですよね。
右手と左手でつなぐから、ふたりで、前を向くことができる。
だから、右手と右手をつないで登ってゆく状態ってどういう状態かといえば、ひとりは前を向いているけど、もうひとりは逆を向いている状態です。あえていえば。
で、この連作は、「京」の統合イメージのせいか、たとえば、
晩年を猫の眼をしたものが飛ぶ 小池正博
補虫網悪口をいう虫もいて 〃
レーダーが刺さった山が睨み合う 〃
など、むしろ、人外にあるものが、〈人〉として生き生きと息づいている。
そういうイメージの系列にある一句が、右手と右手をつなぐ掲句です(ちなみに湊圭史さんに「左手に教えるために目をつむる」という句があるので、〈手〉と〈右・左〉をめぐる魔術的観点からみてみることもできるかもしれません)。
で、おもうのですが、一見、右手と右手をつないでいることが、あれヘンなんじゃないかなと思うのだけれども、実はそうではなくて、おかしいのは、「登ってゆく」という方向感覚のほうなのではないかとおもうのです。
たとえば右手と右手をつないだふたりが円陣を描くようにずっとくるくるとまわっている。
でも、おのおのはそれが登っていることだとも感じているし、語り手も〈そう〉感じている。
そうした述語統合が壊れていく世界が、この〈人外〉の世界なのではないか。
さかのぼっていえば、だからこそ、壊れた述語は人的適用だけでなく、人外にも適用できていく。
そういった世界なのではないかとおもうのです。
ちなみに登っていくことが円陣になっていくとさきほどいいましたが、式神を使役する陰陽師が使った式盤も円陣です。
式神に蛙を殺す力あり 小池正博
【魔法陣としての円環】
『川柳カード7号』の小池正博さんの連作「京育ち」からの一句です。
通常、手をつなぐといえば、右手と左手ですよね。
右手と左手でつなぐから、ふたりで、前を向くことができる。
だから、右手と右手をつないで登ってゆく状態ってどういう状態かといえば、ひとりは前を向いているけど、もうひとりは逆を向いている状態です。あえていえば。
で、この連作は、「京」の統合イメージのせいか、たとえば、
晩年を猫の眼をしたものが飛ぶ 小池正博
補虫網悪口をいう虫もいて 〃
レーダーが刺さった山が睨み合う 〃
など、むしろ、人外にあるものが、〈人〉として生き生きと息づいている。
そういうイメージの系列にある一句が、右手と右手をつなぐ掲句です(ちなみに湊圭史さんに「左手に教えるために目をつむる」という句があるので、〈手〉と〈右・左〉をめぐる魔術的観点からみてみることもできるかもしれません)。
で、おもうのですが、一見、右手と右手をつないでいることが、あれヘンなんじゃないかなと思うのだけれども、実はそうではなくて、おかしいのは、「登ってゆく」という方向感覚のほうなのではないかとおもうのです。
たとえば右手と右手をつないだふたりが円陣を描くようにずっとくるくるとまわっている。
でも、おのおのはそれが登っていることだとも感じているし、語り手も〈そう〉感じている。
そうした述語統合が壊れていく世界が、この〈人外〉の世界なのではないか。
さかのぼっていえば、だからこそ、壊れた述語は人的適用だけでなく、人外にも適用できていく。
そういった世界なのではないかとおもうのです。
ちなみに登っていくことが円陣になっていくとさきほどいいましたが、式神を使役する陰陽師が使った式盤も円陣です。
式神に蛙を殺す力あり 小池正博
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